今年の『中世思想史研究』(雑感)

前にも記したと思うけれど、少し前から『中世思想史研究』は扱う題材が本当に多様化して実に好ましい感じになった。今年の号(54号)は特集が「中世におけるプラトニズム I — 教父時代から12世紀まで」となっていて、「アウグスティヌスとプラトニズム」(松崎一平)、「ボエティウスのプラトニズム」(周藤多紀)、「12世紀のプラトニズム」(中村秀樹)、「中世存在論におけるプラトニズムと超越概念」(山内志朗)といった論考が居並ぶ。個人的にはとりわけボエティウスの論が目を惹いた。ポルピュリオスの「分有」概念(プラトン主義的)が原因・結果の関係(アリストテレス的)と一続きであることをを指摘していて興味深い。一方、それにも増していい感じなのが収録論文の数々。現時点での個人的な興味からすると、まず「プロクロス『悪の存立論』とキリスト教思想圏への浸透」(西村洋平)が注目される。プロクロスとディオニュシオス・アレオパギテスの「悪」の捉え方を比較し、ディオニュシオスが文字通り換骨奪胎している様を浮かび上がらせようとしている。「トマス・アクィナス『形而上学註解』におけるordoとpotentia」(古館恵介)は、現実態・可能態と訳されるactus-potentiaを、様態というよりもむしろ順序を表すものとして再解釈できるのではないか、という野心的な議論を展開している。うーむ、これはまた果敢な提案じゃないだろか。「マルグリット・ポレートと修道院神学」(村上寛)は、異端として処刑された14世紀フランスの女性の神秘家マルグリット・ポレート(Marguerite Porete)の著作「単純な魂の鏡」が、その意志論においてクレルヴォーのベルナールやサン=ティエリのギヨームなどの思想を源泉とするということを論じたもの。けれどもなんだか、12世紀の思想の流れというか、むしろ14世紀の同時代的な思想的洗練(たとえばアウグスティヌス主義の刷新などの影響とか?)がマルグリットの中にあるような印象が感じられてなにやら興味深い……。とまあ、そんなこんなで今号もいろいろ楽しめる(笑)。