イアンブリコスのテウルギー

ジェイソン・B・パーネル「キリスト教思想におけるテウルギー的転回ーーイアンブリコス、オリゲネス、アウグスティヌス、そして聖体」(Jason B. Parnell, The Theurgic Turn in Christian Thought; Iamblichus, Origen, Augustine, and the Eucharist, PhD Dissertation, University
of
Michigan, 2009
)という学位論文を読んでいるところ。イアンブリコスの唱えるテウルギー(神的秘術・白魔術)との比較でもって、ほぼ同時代(3世紀から4世紀)のオリゲネスやアウグスティヌスらの、とりわけ聖体論などを検証し直し、新プラトン主義とキリスト教とが思想的にいわば「地続き」であることを論証しようとする著作。ポイントとなるのは、両者の間に影響関係があったなどという従来的な狭い観点ではなくて、むしろ両者が同じ知的風土・思想文化を共有しつつ、その一種の「局在」「棲み分け」としてそれぞれが成立しているという、より広い観点を前面に打ち出していること。つまりは連続相で全体を見直そうということのようだ。まだ総論とイアンブリコスのまとめにあたる前半だけなのだけれど、すでにして随所にそういう主張が繰り返されている。

で、そのイアンブリコスについてのまとめがなかなか参考になる。本文ではかなり詳しいディテールが扱われているのだけれど、それらを割愛してしまうと、大まかな見取り図としてはこんな感じだ。新プラトン主義においてテウルギーの側面を強調したイアンブリコスは、先達のポルフュリオスなどから批判されるわけなのだけれど、そこにはコスモロジーをめぐる大きな対立点があった。新プラトン主義は一者からの流出として一元的に世界の構成を捉えようとするわけだけれど、プロティノスとその直弟子ポルフュリオスは、月下世界で魂と結びつく質料を悪しきものとし、その意味で魂・質料の二元論的な傾向を強めている(そのもとになっているのは『パイドロス』や『パイドン』での議論)これに対してイアンブリコスは、質料もまた善なるものとして創られているとして一元論を強調し(多少とも曖昧さは残るようだけれど)、魂の足枷というよりもその純化・上昇の媒介役をなす側面を強調する(もととなっているのは『ティマイオス』の議論)。したがって世界の秩序において最下層とされる物質的世界にあっても、その物質性を「用いて」魂は上位の世界へと回帰することが可能だとされる。そしてその方法論として構想されるのがテウルギーの体系だということになる。なるほどそういう観点からすると、プロティノスらが少数派的な魂の救済を唱えたのに対して、イアンブリコスはいわば大乗仏教よろしく、儀礼化して裾野を拡げようとしてるようにも思える。いずれにしても物質的に媒介される神性というあたりが、キリスト教と共通する基盤だと著者は見る。もっともキリスト教の側は、そこからみずからを峻別しようと躍起になるのだというのだけれど……。ちなみにオリゲネスの思想はもとよりイアンブリコスと親和的だといい、アウグスティヌスはレトリカルにはポルフュリオス寄りながらも、コアの部分ではテウルギー的な原理を保持している、という話が論文の後半部分で続いていくようだ。ちなみにイアンブリコス『エジプトの秘儀について』の英訳がこちらに