ティマイオス研 5 :目的論的読み

今回は経過報告的に。トーマス・ヨハンセン『プラトンの自然哲学:ティマイオス・クリティアス研究』(Thomas Kjeller Johansenn, Plato’s Natural Philosophy: A Study of the Timaeus-Critias, Cambridge University Press, 2004)から、総論の位置を占める第一章を眺めてみた。同書が全体として扱うのは、ティマイオスが語る創成神話とクリティアスが語るアトランティス譚がどう関連しているのかという問題。で、その考察を通じて、プラトンの自然哲学が目的論的に、さらにはある種の倫理性をも担って展開していることが示される。まず、ティマイオスに先行する『国家』の中で示される理想国のアプローチは、著者によると「徳のある市民が戦争において成功する」理念を示す上で適切ではないと見る。ただ、そこで示される正義は魂の自然な秩序のことであるとされている。で、ここでティマイオスの語りがくる。そこでは自然の秩序・善の秩序が取り上げられ、コスモスばかりか人間までをも同じ原因・原理が貫いているのだとされる。ただ、真に理性的な動きは円運動で、したがって世界霊魂の動きは円運動、それが有する体もまた球形でなければならない。ところが人間は頭こそ球形で円運動を宿しているものの、その頭の働きを担う延長された肢体はそうなっていない。そのため必然的に人間の魂は、身体に由来する非理性的な運動に従わざるをえない。ここから「身体の影響を克服しておのれの魂を<本来のかたち>、つまりもとの球形に至らしめること」が目的として立ち上がる。いわば下層の魂が、最大限の理性的運動をなすことが問題になるというわけだ。そのために、魂の三層構造や、身体の最大限の制御をなすための生理学などが論じられるのだと著者は見る。秩序が破られれば病気が発生し、さらには政治的比喩、あるいは政治的文脈に移しかえるならば、戦争が生じるとされる。ここからアテナイとアトランティスの話への筋道が付けられる。両国のトポグラフィ(地勢図)は、こうした流れの先に位置づけられ、戦争は身体の病気と同じく、過度の欲望から生じるのだと説明づけられることになる、と。

……こんな感じで『国家』『ティマイオス』『クリティアス』を繫ぐ線が読み込まれるわけなのだけれど、なるほど確かにそうすると全体の展望が少し見えやすくはなる。でも、一方でなにかこう、宇宙開闢論や身体にまつわるあの色彩豊かな語り、アトランティスやアテナイにまつわるこれまた細やかで拡散的な語りは、ここで示された大局的な外枠のようなものには収まりきれない印象も強い。『ティマイオス』や『クリティアス』の語りはそんなに簡単に直線的に解釈できるのかしら(あるいは解釈してよいものなのかしら)、という疑問が浮かんでくるわけなのだが、もちろんまだ総論的な一章だけの話なので、少し先走っているかもしれないし(苦笑)、各論に相当する各章にまた面白い問題などがあれば追って取り上げていくことにしよう。