「雅俗混交体狂詩」

ちょっと珍しい(?)医学系の紀要に載った文学系の論文(笑)。シメ・デモ「ラテン語が病になるとき:雅俗混交体狂詩における医学語の揶揄」(Sime Demo, When Latin gets sick: mocking medical language in macaronic poetry, JAHR University of Rijeka, vol.4 no. 7, 2013)。ラテン語が学術的な専門語へと後退した15世紀ごろ、北イタリアで「雅俗混交体狂詩」(macaronic poetryもしくはmacaronea)と呼ばれる滑稽詩・風刺詩が成立する。その詩的伝統は16世紀にピークを迎え19世紀まで続くというが、成立当初からその滑稽詩では医学が盛んに揶揄されていたのだという。同論文は、イタリアに限定しつつ詩的伝統と医学との関連性の様々な側面を紹介している。取り上げられている事例の中心となっているのは、ジャン・ジャコモ・バルトロッティ(1491-1530)が著した『医学的雅俗混交体狂詩(Macharonea medicinalis)』からのもの。そもそも雅俗混交体狂詩自体が、一種の病んだラテン語と自嘲するような、意図的な誤用のパロディになっていた。また、にせ医者を作中に登場させてやっつけるということもさかんに行われていた。と同時に、そこにはルネサンス期の人間観との関連、とくに触覚などの身体性に注目するという側面もあったという。その延長線上に、猥雑な描写やガストロノミーなどの描写が位置づけられる。また解剖学とのからみで、身体の特定部分のメタファー、あるいは病気のメタファーなども多用される(下ネタ、スカトロも含めて)。同論文はこのあたりのメタファーについて、少しばかり表現のカタログ化を目しているようで、様々な形式が列挙されている。

そのような滑稽詩の背景として同論文が結論部で挙げているのは、15世紀の西欧における社会と言語をめぐる広範な危機的状況、一種の新旧交代劇だ。社会そのもの、宗教、学術、政治など、様々な旧弊のものが崩れ始め、新たな体制が登場しつつある当時だけに、雅俗混交体狂詩が誇張し鮮やかに反映しているのは、人文主義者たちのラテン語と増大する他の諸言語とのせめぎ合いでもあり、またスコラ的な学知と経験主義の対立、あるいは「正規の」医者と民間の治療行為との抗争であったりもする。詩作品の作者たちは、どこか不自然な言語に乗せて、そうした対立関係の風刺を強いメッセージとして発することができたのだ、と論文著者は論じている。うーむ、これも何か読んでみたいところではあるな。

ティツィアーノによるバルトロッティの肖像画(1518)
ティツィアーノによるバルトロッティの肖像画(1518)