起源としてのマケドニア軍改革?

おなじみ、イッソスの戦いのモザイク画からブケパロスに乗るアレクサンドロス
おなじみ、イッソスの戦いのモザイク画からブケパロスに乗るアレクサンドロス
久々に政治史方面のweb論考を読む。ルシアン・アッシュワース「アリストテレスを忘れよ:アレクサンドロス大王と近代政治組織の軍事的起源」(Lucian M. Ashworth, Forget Aristotle: Alexander the Great and the military origins of modern political organisation, University of Limerick, 2003)(PDFはこちら)というもの。ここで議論されているのは、はるか後世の西欧的な政治機構にまで受け継がれる組織的祖型というのが、アレクサンドロスによるマケドニア軍の改革にあったのではないかという仮説。マケドニア軍の改革というのは、まずは機動性を高めるための各種の施策で、傭兵を活用したり功績主義・能力主義を採用したり、ユニット(部隊)を細分化・専門化したりと、今風にいうなら実に自由主義的なものだったという。そうした自由主義的倫理や軍の機構が、後には帝国的な倫理や制度の発達を促すことになった、というのが著者の主張だ。さらにそれは民族混淆的な性質を高めることにもなり、後のコスモポリタニズムが導かれた、と。この著者の見解に従うなら、対するアリストテレスの考える政治学などは、それまでのポリスを温存しようとするだけの保守的で改革に乏しい、しかも他の民族や女性を蔑視する矮小なものでしかなかったと手厳しい。対するアレクサンドロスの政治思想は、既存の制度を否定するという意味でリベラルなものだったというわけだ。うーん、こうした議論に直接評価を下せるだけの知識はあいにく持ち合わせていないのだけれど(苦笑)、マケドニア軍改革それ自体の記述や、それが政治機構の母体にもなったというあたりはなかなか説得的。ただ、それが後々の政治機構・思想の伝統にまで繋がっていく(近現代のアナーキズムなどまで引き合いに出されている)というあたりの議論は少し性急にすぎる気も。マケドニアの制度はペルシアの制度に多くを負っているほか、伝統的なものとアレクサンドロスの独自の改良を組み合わせた複合的なものだったといった話を著者自身が述べているのに、後の時代の記述に関してはそうした複眼的な目配せがなかったりと、読んでいて微妙な居心地の悪さを覚える。ま、とはいえ、政治的なコミュニティがまずもって関心を寄せるのはいつだってセキュリティの問題であって、繁栄の問題などではなかったという指摘などは、なにやらとても興味深いところを突いている感じも。