年始代わりの二本

年が変わって2014年。今年もぼちぼちとやっていきたいと思う(笑)。今年も引き続き中世後期からルネサンス初期にかけてを重点的にめぐりたいし、デカルト周辺、さらに後の時代などももう少しめぐっていけたらと思う。でもま、欲張るとロクなことはないので(苦笑)、あまり無理はしないようにしよう。昨年は年末にかけて少し「政治論」の前景化が個人的にもテーマになってきたりもした。ま、もちろんそれは身近な情勢が影響しているわけなんだけれども。これもまた一つの軸になる……のかしら?

というわけで、今年の一発目は昨年末に読んだ論考から。まずマヌフイア・バーチャム「自然的理性による統治:中世後期・初期ルネサンス期の政治腐敗の概念」(Manuhuia Barcham, Rule by Natural Reason: Late Medieal and early Renaissance conceptions of political corruption, in Corruption – Expanding the Focus, ANU E Press, 2012)。西欧の中世からルネサンス、さらには初期近代へと、政治についての議論がどのように変わっていったか、概略をまとめた論文。書かれていることはさほど目新しくはないけれど、一応の基本線として押さえておくのは有益かな、と。政治論はやはり、現実的な政治のある種の腐敗を受けて練り上げられるもののようで、地上での善の追求として「秩序」を考えるという古代のアプローチしかり、キリスト教の文脈において統治者の「徳」を考える議論(12世紀)しかり、各種の政体の比較論(13世紀)しかり、北イタリアの都市国家における指導者概念への市民概念の包摂(人文主義時代)しかり。マキャベッリやグイッチャルディーニにいたると、統治者の徳と統治の質とが切り離されて論じられるようになり、再び古代の秩序論が復活する、という流れ。前のアッシュワース論文にあった政治コミュニティの「セキュリティ」重視に加えて、「繁栄」が重んじられるようになるのも、場所的にも時代的にもどうやらそのあたりかららしい。

もう一本、こちらは科学史のペーパーだけれど、同じく基本的なもの。オーウェン・ギンガリッチ「ガリレオ、望遠鏡の衝撃と近代天文学の誕生」(Owen Gingerich, Galileo, the Impact of the Telescope, and the Birth of Modern Astronomy, Proceedings of the American Philosophical Society, Vol. 155 Issue 2, 2011)。地動説の証明においてガリレオが果たした役割についてまとめられたもの。プトレマイオスの周転円説で説明がつかない現象(惑星の逆行が太陽と逆の位置でのみ起きること)の説明として登場したコペルニクス説は、トマス・ディッグスの書や、ミヒャエル・メストリンの弟子ケプラーの著書を経てガリレオに受け継がれる。1609年、ガリレオは望遠鏡を独自に改良し(倍率を20倍にした)、月が地球に似ていることや(アリストテレス的天体観からの決別)、木星に衛星があることなどを発見する。発見はコペルニクスの体系を証明するものではなかったにせよ(惑星は太陽の周りを回るが、太陽そのものは地球の周りを回るとしたティコ・ブラーエの別モデルでも説明はついた)、少なくともまったく新しい自然学的枠組みをもたらすものではあった、と著者。16世紀の天文学者たちはすでに、惑星の位置計算についてはコペルニクス説を受け入れていたというが、それが自然学的な現実を表すとは考えていなかったといい、ガリレオ裁判に先立ってベラルミーノ枢機卿はガリレオに、数学的なモデルとして「太陽が不動だと考えればよりよい説明がもたらされると述べるなら問題はないが、太陽が実際に中心をなしていると主張するのは危険だ」と諭していたという(教会側も一般人も、地球が実際に動くという話自体はナンセンスと受け止めていた)。なにやらこのあたりは、学問的な受容に際して技術的な部分が先行するという、一種のプラグマティズムを感じさせて興味深い。

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