ルネサンス初期の物質文化

サミュエル・コーン「ルネサンス期のモノへの執着:遺書・遺言書における物質文化」(Samuel Cohn, Jr., Renaissance attachment to things: material culture in last wills and testaments, Economic History Review, University of Glasgow, 2012)をざっと読む。おもにルネサンス初期のイタリア都市部における市民らの資産・財産への執着を、当時人々の間で一般化していたという遺言書から浮かび上がらせようという興味深い論考。財産目録が一部の富裕層にしか見られないのに対して、遺言書はより一般的で、残っている史料としての数も多く、それでいてあまり分析が進んでいないのだそうで、まさに宝の山なのだとか。で、そこから同論考で示されるのは、ペスト禍(1348年の流行よりも、むしろ1362年の二回目の流行以降)を境に遺産に関する行動パターンが変化したということ。それ以前には死に際して寄進などを行うのが一般的だった状況がペスト禍を期に一転し、続く世代に対して将来の遺産管理をどうするのか事細かく指示するようになったという。資産は処分したりせずに、手元に置いておくものとなった。どうやらそれは、ペスト禍に際して否応なしに死というものに直面した人々が、自分の家族に記憶を長く伝え留めようとするようになった、ということらしい。そうした行動の変化はほかに葬儀の習慣などにも現れ、私的な小礼拝堂を作ることが盛んになされるようになったりもし、また臨終に際してみずからの姿を絵画に残し、それを墓石に飾るといったことも行われるようになったという。全体として、遺書を残す者とその家族の記憶を留めるための美術品や建築がブームとなったらしい。つまりは美術品の使い方、あるいは見方が変わったということ。同論考では取り上げられていないものの、美術制作の技法などに影響はなかったのかしら、と改めて思う(以前読んだ古い論考では、シエナの絵画を例に、そうした影響はさほどなかったということだったのだけれど……うーん、そのあたりはどうなのか……)。また経済的な観点からすれば、寄進(それは商人などの間に、一種の罪滅ぼし的に広まっていた)が富の流動性を高めたのに対して、ペスト後のそうした動きはそれと反対の動きをもたらすことにもなったようだ。低迷した業種とかも出てきたはず。とはいえ論文著者によれば、ルネサンス期の経済はすでにして複雑だというから、そうした影響関係の特定はやはり難しい問題となるようだ。

ギュベール・ド・ラノワ著『若き王子の教育』(1468-70頃)の口絵から
ギュベール・ド・ラノワ著『若き王子の教育』(1468-70頃)の口絵から