スコトゥス主義


2002年1月-3月の『レ・ゼチュード・フィロゾフィック』(特集「17世紀のドゥンス・スコトゥス−−1. 対象とその形而上学」)(Les Etudes philosophiques (Janvier-Mars 2002), tome I : Duns Scot au XVIIe siècle, PUF)をざっと読む。17世紀のスコトゥス主義について取り上げた論集の第一部。ここでいうスコトゥス主義というのは、スコトゥス思想の直接的な継承というよりも、いわばその後の様々なフィルターを経た上で形成された一つの勢力圏ということ。掲載順番とは違うけれど、まずはジャコブ・シュムッツ「精妙派の遺産−−古典期スコトゥス主義の地図作成」(Jacob Schmutz, L’héritage des Subtils, Cartographie du scotisme de l’âge classique)が、17世紀当時のスコトゥス主義の隆盛とその全体的布置のイメージを与えてくれる。スコトゥス主義が生き延びたのは、一つには15世紀に教会の正式な機関において尊厳を得たことや、フランシスコ会派の教育の制度化がさらに進んだことなどが関係しているという。さらには印刷術の恩恵もあって、スコトゥス主義は17世紀にいたるまで、トマス主義や唯名論などの勢力圏と競合しながら(ときには他の思想圏と混合されたりもして)一つの影響圏を形作っていたのだ、と。17世紀当時もまた数多くの論争があって、そうした論争の先鋒となっていた人物にバルトロメオ・マストリがいた。で、この人物は同誌の掲載論文の半ば主役的存在になっていて、ポール・リヒャルト・ブルム「自然新学としての形而上学:バルトロメオ・マストリ」(Paul-Richard Blum, La métaphysique comme théologie naturelle : Bartolomeo Mastri)ではタイトル通り考察の中心に置かれている。

再びシュミュッツ論文からだが、スコトゥス主義がはっきりと見て取れる議論の一つに、例の「対象的概念」「形相的概念」の区別があり(スコトゥスが展開しペトルス・アウレオリが精緻化した「対象的存在」「認識的存在」の区別が大元だという)、この区別の変遷を追うのがもう一つの掲載論文、マルコ・フォルリヴェシ「形相的概念と対象的概念の区別:スアレス、パスクアリゴ、マストリ」(Marco Forlivesi, La distinction entre concept formel et concept objectif : Suárez, Pasqualigo, Mastri)だ。前半では、そうした区別の先駆的な例が見られる論者たちを(スコトゥスやアウレオ以外にもいろいろ)、テキストの当該箇所とともに列挙し整理していて、深く分析しているわけではないものの、見取り図としてはとても有用に思える。後半はスアレスのほか、ザッカリア・パスクアリゴ(17世紀ヴェローナの神学者で、マストリとも論争した)、マストリ(およびマストリの共著者でもあったボナヴェントゥラ・ベルート)などを取り上げ、やはりその概念の区別についてまとめている。導入としては有益だけれど、いずれの論考もどこかまだ表面をなぞっている感が強く、あまりピンと来ない。個人的にはマストリなどはまだ直接の関心があるわけではないけれど、近世スコラについてもそのうち、さらに深みのある論考をぜひ読んでみたいところではある。