エル・シードの実像

エル・シードの歌 (岩波文庫)以前BSで放映していたアンソニー・マン監督作品『エル・シド』(1961年)を録画で視た。『十戒』や『ベン・ハー』に続くチャールトン・ヘストンの大作ものなのだろうけれど、話の起伏がさほどなく凡庸な印象。エル・シドといえば『エル・シードの歌 (岩波文庫)』(これは1207年ごろまでに成立したものとされる)くらいしか知らないのだけれど、映画作品はそれがベースになっているわけではないようで、いくつかの伝説などをもとにヒーロー像を再構成したような作品になっている。ただ、1929年に『シードのスペイン』という著書を出しているラモン・メネンデス・ピダルが映画の時代考証に参加しているらしい。

で、これに関連してサイモン・バートン「エル・シード、クリュニー、そして中世スペインのレコンキスタ」(Simon Barton, El Cid, Cluny and the Medieval Spanish Reconquista, English Historical Review Vol. CXXVI No. 520, 2011)(PDFはこちら)という論文をざっと眺めてみた。エル・シードことロドリーゴ・ディアスは実在の人物らしいのだけれど、その記録は没後50年から100年後に書かれたものばかりで、実像については見解が大きく分かれるところなのだそうだが、そんな中、ロドリーゴの署名がある文書が一つだけ残っているのだという。それが、ジェロームというバレンシアのフランス人司教への寄付について記された1098年の譲渡証書なのだとか。同論文はその文書を手がかりに、当時の教会の状況などを踏まえつつ、ロドリーゴの実像を浮かび上がらせようとするなかなか刺激的な一篇。上のメネンデス・ピダルの話もここに記されている。いずれにしても、そうしたエル・シードのキリスト教的英雄としてのイメージは後世の産物。では上の証書の真偽はどうなのかという話も当然出てくる。論文著者は書体や年号記述、さらに内容面などを引き合いに、それが真正なものであるという仮説を支持している。興味深いのは、寄付の宛先とされるフランス人司教ジェロームの存在だ。

バレンシアの教会に採用されたのはクリュニー修道会の若いフランス人聖職者だったというが、その採用の背景には11世紀の教会改革があったといい、さらにはイベリア半島の教会に及んだ「西欧化」の一環と見ることもできるという。クリュニー修道会については今でこそ、第一回の十字軍の結成やリコンキスタにおいて果たした役割は限定的だったとされるようになったというが、イベリア半島においては例外的に影響力をもち続け(寄付のネットワークや世俗のサポーターたちなどを通じて)、ヒスパニックの王国の政治やイスラム世界との紛争に密接に関与していたという。レオン=カスティーリャ王国はクリュニー修道会の重要な収入源をもなしていた、と。一方、この証書から浮かび上がるロドリーゴ本人の肖像は、『エル・シードの歌』のような、レオン=カスティーリャ王アルフォンソ6世の忠実な臣下というよりも、自分の領土の統治と領主としての称号を主張するような、独立志向の高い人物のイメージだという。ジェロームとロドリーゴの両者が置かれた状況から、教会はジェロームを通じてロドリーゴのバレンシアの立場を正当と見なし、ウルバヌス2世はトレドの支配権からの免属を認めるなどの、証書にまつわる動きが理解できるのだと論文著者は主張する。