『無限の歴史』から:ルネサンス編

Histoire infini先にメルマガで取り上げたヨナス・コーン『カントまでの西欧思想における無限の問題の歴史』。仏訳タイトルは『無限の歴史』(Jonas Cohn, Histoire infini, trad. Jean Seidengart, Les Éditions du Cerf, 1994)。ドイツ語の原典はライプチヒで1896年に刊行されたもので、独語版は入手不可(?)らしい。けれども、こうして仏訳が比較的最近出て、新たな息吹を吹き込んでいるところが素晴らしい。実際、「無限概念の歴史」としては、これがまずもって参照すべき一冊とされているようだ。実際、同書は様々な論者をリファーしていて、全体的な流れが俯瞰できるところが秀逸。とっかかりの一冊として利便性が高い印象だ。メルマガのほうでは中世後期あたりからクザーヌスまでを参照し大雑把にまとめてみたけれども、その後のルネサンス編も興味深い(ので、以下メモ風にまとめよう)。一つの核を成しているのは、クザーヌスから影響を受けたとされるジョルダーノ・ブルーノとその独創的な「無限数の世界」論。これを軸として、ブルーノの先駆者的なパリンゲニウスやテレジオ、パトリツィ、あるいはブルーノ以後にその批判者として連なるカンパネッラ、ガリレオ、ケプラー、ガッサンディなどが取り上げられる。ここで重要なポイントとなっているのは、その頃台頭していた新しい(古代のものとイコールではないという意味での)原子論だ。ちなみにその流れは。すでに一四世紀から見て取ることができる。

任意の大きさが無限に分割可能であるとしたなら、時間や運動にも始点などないことになり、世界の創造もないことになってしまう。けれども世界内の任意の大きさは数で計測できることから、それは不連続であることが論証できる。よってそれは分割不可能な点(原子)から成っている。ただ、その大きさに含まれる点の数を、人間はその認識的な限界ゆえに知ることができない……。ブルーノやカンパネッラなどを含めて、この論法は17世紀初頭にまでいたる(アイルハルト・ルービンも)。けれどもコーンによれば、原子論が突きつけた問題とは、実はアリストテレス以来の空間概念と物体概念の混同にあるといい、両概念の明確化こそがその議論の展開を読む鍵になるという。運動が生じるためには真空がなくてはならないとするジュール・セザール・スカリジェ(スカリゲル)を経て、ピエール・ド・ラ・ラメ(ラムス)において、空間と物体の分離の議論は完遂されるのだとか。さらにダヴィッド・ゴルラエウスなどもそれに連なる。ラ・ラメはまた、数学的な連続体を思弁的に無限に分割することを、自然学的な感覚的大きさに移しかえてはならないとも唱えていて(これも一四世紀にすでに同種の議論があるが……)、同じようなことをダニエル・ゼンネルトも強調しているという。ガッサンディも同様(さらにマグネヌス、ディグビーという名前も挙げられている)。ところが空間と物体の分離というテーマは、デカルトの台頭によっていったん影を潜める(?)ことになる。というか、モルスやオットー・フォン・ゲーリケといった反デカルト主義的批判が活況となるまで、しばしお預けとなるらしい……。