イタロスの質料論

聖ルカ修道院のフレスコ画。描かれているのはヨシュアだというが、服装は10から12世紀のビザンツの歩兵隊のもの(wikipediaより)
聖ルカ修道院のフレスコ画。描かれているのはヨシュアだというが、服装は10から12世紀のビザンツの歩兵隊のもの(wikipediaより)
ヨハネス・イタロスの質料論についての論考を読んでみる。ミケーレ・トリツィオ「一一世紀ビザンチウムにて再考された、悪しきものとしての質料をめぐる古代末期の論争−−ヨハネス・イタロスとその問題九二」(Michele Trizio, A Late Antique Debate on Matter-Evil Revisited in 11th-Century Byzantium, John Italos and His Quaestio 92, Fate, Providence and Moral Responsibility in Ancient, Medieval and Early Modern Thought. Studies in Honour of Carlos Steel, Leuven University Press, 2014)という論考。イタロスは一一世紀のビザンツの哲学者で、あのプセロスの後を継いで宮廷の哲学的助言者になった人物。基本的にはキリスト教徒なのだけれど、1082年には異端として糾弾されてしまう。質疑と応答の形式で記された著作が九三編あるというが、まだ本格的なモノグラフは出ていないという。同論考は、その質料観についてテキストに沿ってまとめたもの。イタロスは基本的スタンスとして、質料が生成も消滅もせず、創造主と永遠に共存するものだという古代ギリシアの考え方に批判的なのだという。また、質料を悪しきものとする考え方(イタロスにより誤ってアリストテレスの思想とされている)をも批判しているという。それがアリストテレスに帰されたのは(アリストテレスは「質料は女性的だ」としているのみだった)、どうやらシンプリキオスの注解のせいらしい。一方で、この後者はプロティノスの質料観であり、また前者はその批判者であったプロクロスの考え方でもあったわけで、イタロスはこの矛盾する両者を突き合わせて、古代の質料観がいずれにしても逆接的であることを指摘していくのだとか。なにやらとても「近代的」なアプローチでないの。で、イタロス自身の考え方はどうかというと、これまた逆接的で、質料をめぐる教説の矛盾から「質料などというものは存在しない」という結論を導いているのだという。そちらもなかなかラディカルだ。けれどもそのせいか、イタロスはむしろその欠如(=悪しきもの)としての質料というシンプリキオス的・プロティノス的な質料観に与しているとしているとして(?)、異端として糾弾されることになるらしい。これまたなんとも逆接的な話(イタロスの本来の意図は、古代の哲学的見解を排して、キリスト教の初期教父の教えを尊重しようとするものだった、と論文著者は述べている)。