実像寄りのパルメニデス

プレソクラティクス-初期ギリシア哲学研究- (叢書・ウニベルシタス)プラトンの『パルメニデス』篇は当然ながら、基本的には「プラトン的な」パルメニデス像にすぎないわけだけれど、すると今度は、実像としてのパルメニデスはどんな感じだったのか、「一」と「多」についてどんな議論をしていたのか……といった疑問が頭をもたげる。ま、それは以前にも抱いた問いのような気がするが(苦笑)、今回はさしあたり次の文献に当たってみた。エドワード・ハッセイ『プレソクラティクス-初期ギリシア哲学研究- (叢書・ウニベルシタス)』(日下部吉信訳、法政大学出版局)。手引き書と言うにはちょっと硬派すぎる感じの一冊だけれど、ソクラテス以前の初期ギリシア哲学について、歴史的な時代背景などにも目配せしつつ総合的に掌握しようとしている点は好感がもてる。パルメニデスについては後半に比較的多くのページが割かれていて、実際に残っているパルメニデスの断片の核の部分を再検討してみせている。で、同書によれば、パルメニデスの「在る」の議論は、プラトンの『パルメニデス』の場合の「一」と同様に、「多」へと開かれていないのだという。けれどもここで同書の著者は、その開かれていないことを難点と見、そこに救済として思惟の次元をもちだそうとする。つまり、「在るもの」が一様でないとしたら、そこには「在らぬもの」(「ないもの」)が導入されているのだ、として多性を否定するパルメニデスの議論に対して、「われわれ」は「在るもの」を思惟において部分と全体に切り分けたり、存在と非在を思惟したりすることができる、といった議論をぶつけてみせるのだ。さらに、そうした思惟の側からの議論をパルメニデスが「阻止」していないのは不十分ではないか、とさえ批判してみせる。うーん、これにはちょっと違和感を感じざるをえないのでは……。そう思っていたら、訳者の日下部氏があとがきで、パルメニデスの解釈について同書が「本質的な点において混乱が見られる」と指摘していた。

パルメニデスの「誤解史」について、日下部氏は自著の『ギリシア哲学と主観性』を参照せよと述べている。で、おそらくは当該箇所であろうパルメニデスを扱った同書の一部が、嬉しいことにその日下部氏のオフィシャルブログにおいて、PDFで公開されていた(→こちら)。それによると、パルメニデス的は「ない」の否定を通じて、現象世界へのいっさいの言及を封じ、現象世界を「死すべき者どものドクサ」として非妥協的に斥けたのだという。一方、プラトンやアリストテレスなど西欧の形而上学の伝統は、パルメニデスのテーゼを無視することに始終したというわけだ(p.8)。プラトンの場合、ソフィスト断罪のために、一定の評価をしていたパルメニデスのテーゼはいったん犠牲にされ、「非存在でもある意味存在するし、存在もある意味では存在しない」という形でテーゼを緩和したのだという(p.9)。アリストテレスの場合、パルメニデスの存在論は感覚的存在が対象だと見なし、それを思考や認識の議論でも転用したのだという(pp.9-10)。なるほど、こうしてみると、上のハッセイのコメントも、アリストテレス以来の曲解が今なお息づいていることの見本ということになるのかもしれない。