規約主義vs認知主義

規則の力: ウィトゲンシュタインと必然性の発明 (叢書・ウニベルシタス)ジャック・ブーブレス『規則の力: ウィトゲンシュタインと必然性の発明 (叢書・ウニベルシタス)』(中川大、村上友一訳、法政大学出版局、2014)を読んでみた。比較的小著でありながら、結構晦渋で、読み進めるのに時間がかかった一冊(原書は87年刊)。とはいえ、扱われている内容は大変興味深いもの。たとえばクリプキなどは、ある規約が適用されるときに、それがその後も常に適用される保証はどこにあるのかと問い、その規約のもつ必然性に異義を唱えてみせたのだった。これに対してここでのブーブレスの議論は、そのクリプキの議論の下敷きになっているウィトゲンシュタインが、実はそうしたクリプキ的な懐疑論にはいたらず、必然性というものを少なくとも否定はしていないという解釈を中心に展開する。それによるとウィトゲンシュタインは、規約が将来的にも適用されうること、それが予言されうることを認め、その必然性を規約そのものの表現体系において発明されたものと見なしているのだという。記号と規則による取り決めそのものが、必然性を可能にするようなしかたで取り決められているのだということのようで、取り決めは記号が指示する実際の事物の外で行われている、とされる。規約が必然性をもたらすということで、これは「規約主義」と称されている。ある種の概念論、唯名論的なスタンスだ。その最たるものとして数学が例に挙げられているのだとか。

ではそれは完全に事物とは関係なく成立しているのかといえば、ブーブレスによると必ずしもそうとはいえず、ウィトゲンシュタインは、そうした記号と規則が織りなす「記述」が、すでにして外的な事物を取り込む形で記されているのだと説明しているのだという。事物、というか事物の認識を重んじる立場を、同書では「認知主義」と称し、「規約主義」と対比をなすものとして取り上げているけれど、これなどはむしろさながら穏健な実在論という感じだ。とりわけエドワード・クレイグがその観点からウィトゲンシュタインを批判的に解釈しているといい、ブーブレス自身の立場もそちらに重みを置いているように見える。だからこそというべきか、同書での解釈には、規約主義のみに汲々としているわけではない、場合によりずいぶんと広い構えを見せるウィトゲンシュタイン像が浮かび上がってくるような気もする。ま、これは個人的な、素人の印象論でしかないけれど(笑)。「あとがき」によるとブーブレスは1940年生まれのフランスの哲学者。ウィトゲンシュタイン研究の第一人者だという。