オピキヌスの「身体=世界論」その1:ポルトラーノ図

初夏のころに記事として取り上げたオピキヌス・デ・カニストリス。ヨーロッパの地図を人体の造形と重ね合わせるという独創的な絵というかダイアグラムというか、そういう挿絵の数々を残している14世紀の人物だけれど、今年の初頭ぐらいに、カール・ピーター・ウィッティントンという研究者による包括的な研究書(かな?)が刊行されている。『ボディ=ワールド:オピキヌス・デ・カニステリスと中世の地図作成法のイマジネーション』(Karl Whittington, Body-Worlds: Opicinus de Canistris and the Medieval Cartographic Imagination (Text, Image, Context: Studies in Medieval Manuscrift Illumination), Pontifical Inst of Medieval, 2014)という一冊。まだ未入手なのだけれど、おそらくはこれの元になっていると思われる学位論文も公開されているので、まずはとりあえずそちらに目を通しておくことにした。『オピキヌス・デ・カニステリスのボディ=ワールド、芸術家と神秘家』(The Body-Worlds of Opicinus de Canistris, Artist and Visionary (1296-ca.1354), University of California, Berkeley, 2010)がそれ。なかなか面白そうな中身なので、ここにも少しまとまった記しておくことにしよう。まず今回取り上げるのは第一章。そこでは、オピキヌスが参照していたらしい同時代のポルトラーノ図(航海用の海図)についての研究動向をまとめてくれている。

ポルトラーノ図の実例
ポルトラーノ図の実例
ポルトラーノ図としてここでは、イタリアの初期海図と目されるピサ海図と、14世紀にマジョルカ島でアンジェリーノ・ドゥルセルトが作ったとされるドゥルセルト海図の二つが主に参照されている。ポルトラーノ図の特徴は、航程線という放射状の線が書き込まれていること。海図全体をカバーする二つの円周(東西に並んで配置される)上に、それぞれ方位を一六分割した点をプロットし、それらの点同士を結んでできる線をいう。りわけドゥルセント図で顕著だというこの航程線は、この線に沿うことで進む方向が決定でき、また線同士が形作るグリッドの数などで大まかな距離も計測できるのだという(p.32)。そうした図の用い方について、なんとオピキヌス自身が述べている文章があるのだという(!)(p.33)。この、距離もわかるというのが重要で、ポルトラーノ図で分かるのは方向だけではないということが強調されている。

ポルトラーノ図の起源には諸説があるようで、決着はついていないというが、論文著者が有力視しているのは、小さな多数の海図が長い時間をかけて寄せ集められ、結合されてできたというモデル(今でいうならオープンソースのコントリビュートみたいに)(p.27)。11世紀以降の航海案内書(ポルトラーニ)に記されたデータが、初期のポルトラーノ図の編纂に用いられているといった話もある。それらの行路や距離がグリッド(格子)にプロットされているというのだ。元となったデータは羅針盤から読み取られたものだろうという(p.29)。うーん、このあたりの成立史はとても興味をそそる部分だ。論文著者は、13世紀から14世紀にイタリアを中心に用いられるそうしたグリッド方式が、12世紀から13世紀にかけて流入し盛んに議論された中世の光学(ロジャー・ベーコン、ロバート・グロステスト、アル・キンディ、アル・ハーゼンなど)による、新しい空間概念に根ざすものではないかと論じている。その上で、その新しい認識を「神の視線による世界認識」(今ならば鳥瞰図というところだけれど)と位置づけ(p.37)、それと下界の世界との関連をグリッド方式が一種のダイアグラムとして示しているのだと論じてみせる。このあたりの思考の漸進的な飛翔もまた、同論文の第一章の読みどころかもしれない。で、本論となるオピキヌスのビジョンについては以後の章ということになる。