アレクサンドロス「混合と成長について」

Alexandre D'Aphrodise: Sur La Mixtion Et La Croissance (De Mixtione) (Collection Des Universites De France)このところ読んでいたアフロディシアスのアレクサンドロス(3世紀初頭)の『混合と生長について』(Alexandre D’Aphrodise: Sur la Mixtion et la Croissance (De Mixtione), trad. Jocelyn Groissard, Les Belles Lettres, 2013)。希仏対訳本で、とりあえず冒頭の解説序文のうち内容に関する部分と、本文を読了した。これもなかなか興味深いテキスト。というわけで、とりあえずのメモ。混合・混成について、まずはストア派などの諸義論を取り上げ、それらの問題点を挙げては反駁を加え、次いでアリストテレスこそがそうした問題への解決をもたらすとしてその義論を紹介し、最後には混合から派生する事例として生き物(とくに人間)の生長の問題を扱っている。解説序文によれば、こうした「問題提示→ストア派反駁→アリストテレス称揚」というパターンでの展開は、『運命について』など複数の著作で多用されているといい、それはアレクサンドロスが逍遙学派の教師としての役割を担っていたからではないか、としている。内容面ではまず、ストア派などのドクソグラフィが目を惹く。ストア派はデモクリトスやエピクロスの議論を引き継ぐ形で、細かな粒子のレベルにおいてはあらゆるものが混合するとの世界観を示す。そこでは粒子が並列されるというわけなのだけれど、クリュシッポスにいたると、モノが一体性を保つためにプネウマが物体と結びつくという立場が示される。一方のアレクサンドロスは、基本的にアリストテレスの混合の考え方をそのまま提示しているように見え、アリストテレスに準拠したストア派批判が展開する。混合は実体同士によってなされる以外になく、混合する物体が相互に働きかけ、また受容することができなくてはならず、物質的な共通性と正反対の質を有していなくてはならない。また、混合する同士は変成を受けて新たな質を獲得するが、ポテンシャルにもとの要素の質も保持している。同序文によると、アレクサンドロスはアリストテレスのもとのテキストにある曖昧な部分(たとえばそのポテンシャルの具体的な意味など)を、少なからず明確化しようと努めているという。そのあたりに、アレクサンドロスの独自性が見え隠れするというわけだ。