12世紀の汎神論−−ベナのアマルリクス

Autour Du Decret De 1210 III: Amaury De Bene Etude Sur Son Pantheisme Formel (Bibliotheque Thomiste)前々回のエントリにも関係するが、中世の汎神論の一例として、ベナのアマルリクス(ベーヌまたはシャルトルのアモーリー、アマウリクスという表記もある)とその一派(セクト的なシンパが集まっていたらしい)があったことを最近知る。で、かなり古い文献だけれど、それを扱った論文を読んでみた。G. C. カペル『ベーヌのアモーリー、その形相的汎神論についての研究』(G. C. Capelle, Autour Du Decret De 1210 III: Amaury De Bene Etude Sur Son Pantheisme Formel (Bibliotheque Thomiste), Vrin, 1932)というもの。ジルソンが編纂していた「2010年の教令の周辺」叢書の第三弾。ベナのアマルリクス(Amalric of Bena)はパリ大学の哲学・神学教師で、アリストテレスをさらに発展させるという講義が人気を博していたというが、1204年に大学側からその教義について非難を受け、思想内容の撤回を迫られた。さらにそれを受け継いだ弟子たち(アマルリクス派)も1215年のラテラノ公会議で糾弾される。同論考はまず、何が問題だったのかを、その教義内容の再構築から探っていく。中心的な史料となるのは、同セクトの糾弾を記したパリ大学の台帳のほか、『アマウリクス派論駁』という逸名文書など。

教義の中心をなすのは、神と被造物の(ラディカルな)一致という思想。同書ではこれを存在の「過度の」一義性としているが、要するに神は存在の形相的な原理とされ、被造物は存在を分有することになり、ここから創造主と被造物が存在を分かつという意味で等しい(!)という帰結が得られる、ということのようだ。諸事物(被造物)と神との区別は見かけの区別にすぎない、と。この意味で、これはスピノザ主義を先取りするかのような汎神論になっている、と論考の著者も述べている。するとそこから、たとえば復活の教義などが否定されたりもするし、悪の存在も否定され、自由意志もまた斥けられることになる……。論考は次に、その教義が成立した拠り所、つまり出典を探ろうとする。有力な参照元として検討されるのは、ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ(神への被造物の参与など)のほか、いわゆる「シャルトル学派」からシャルトルのベルナールとその弟子シャルトルのティエリおよびベルナール・シルヴェストル、シャンポーのギヨームとその弟子カンブレーのオドン、さらには同時代のフィオーレのヨアキムなどなど。このあたり、芋づる的に各思想家の教義のエッセンスがまとめられていて好感。こういった芋づる式の論考、個人的にも好きな形式だ。ま、それはともかく。話を戻すと、とはいえいずれもアマルリクスの教義とは一致するものではなく、直接的な影響関係は見いだせないとされる。ただ、アマルリクスが自説を練り上げる際に、当時のプラトン主義や実在論、さらには知的な空気といった間接的な影響をそれらの思想家が醸し出していた可能性は高いという。逆にいえば、そうした空気の中にあってこそ、アマルリクスはそうした著者が用いた概念や教説などを、ある意味自由に翻案していくことができたのだろう、という次第だ。うーむ、同論考は1932年のものなので、やはり気になるのはその後の研究の展開・成果ということになるわけだが……。とりあえず、大橋氏のサイト「ヘルモゲネスを探して」では、アマウリクスを2007年に取り上げていたようで、そこにマリオ・ダル・プラの1951年の著書が挙げられている。