スコトゥスの「似像」論

L'image (Bibliotheque Des Textes Philosophiques)春先くらいに、実在論的表象主義の可能性の話を取り上げたけれど、なにかそれに関連するものがないかしらと、スコトゥスの「イメージ論」を抜粋したという仏訳本を見てみたのだけれど(Duns Scot, L’image (Bibliotheque Des Textes Philosophiques), trad. Gérard Sondag, Librairie Philosophique J. Vrin, 1993)、残念ながらそういうものではなかった(苦笑)。これはむしろスペキエス(可知的形象)論の部分を抜き出したもの。正確には『オルディナティオ』第一巻、第三区分、第三部、問題一から四という構成。前に取り上げたのは代示(というか仮象)の話で、主な出典は『自由討論集』第九巻。そちらが収録されていないかと思ったのだけれど、空振り。でもまあ、久々にスコトゥスのスペキエス論を見直すのも悪くはない。スコトゥスは基本的にスペキエスを認める立場。魂の中の知的部分が主たる原因となって知解は生じるとされるけれど、そうした知解能力を超える対象(至福の対象、すなわち神)にあってはそちらが主たる原因となる。これが大きな思考の枠組みになっている。これに、たとえば問題四で扱われるような、三位一体の「似像」としての魂(記憶、知性、意志)といったイメージ論が連なる。こうしたあたりは最初に押さえるべき、またときおり見直すべき基本だったりもする……。