corpus hermeticumよりーー音楽の喩え 1

Corpus Hermeticum: Traites XIII-XVIII - Asclepius (Collection Des Universites De France Serie Grecque)「ヘルメス文書集成」のとくに後半部分をLes Belles Lettres版(Corpus Hermeticum: Traites XIII-XVIII – Asclepius (Collection Des Universites De France Serie Grecque), A.D. Nock et A.-J. Festugière, Les Belles Lettres, 1946-2008)で読んでいる。ヘルメス選集のXIII「再生」からXVIIIまでと『アスクレピオス』を含む、この版の二巻目。再生概念とか太陽信仰の痕跡とか、いろいろなトピックが盛り込まれていて興味深いが、なかでもXVIII章が音楽の比喩で語られていて個人的には面白い。というわけで唐突ながらこれを、この夏の企画として訳出していこうかと思う。というわけで第一節から。XVIII章の表題は「身体のパトス(被り)がもたらす、魂の阻害について」(Περὶ τῆς ὑπὸ τοῦ πάθους τοῦ σώματος ἐμποδιζομένης ψυχῆς)。

1. あらゆる音楽のもととなる歌の協和を約束する人々にとって、もし発表の場で演奏中に楽器に不協和が生じ熱意を妨げることになったなら、その試みは滑稽なものでしかなくなるだろう。というのも、必要とされることに対して楽器が劣っている場合、音楽家は必ずや観客たちに嘲笑されてしまうだろうから。その者は飽くなき善意をもってその技術を身につけたのかもしれないが、楽器の欠点を非難されるのだ……。本来的に音楽家であり、歌の協和を実現するのみならず、個々の楽器にまで固有の旋律のリズムを送り込む者は、飽くことなき者、すなわち神である。神については飽くことなどないからだ。