corpus hermeticumよりーー音楽の喩え 4 – 6

ヘルメス選集のXVIII章の続き。道具(すなわち身体、物質的なもの)には偶発的な事象がつきもので、だから不安定なのだとし、それが貶められるほどに精神への賛美が高まるというこの一節、まさに西欧世界の思想の根源を見る思いがする……(苦笑)。と同時に、その精神を支配者たる神が助けるという構図も示されている。うち捨てられる道具とつねに上方へと引き上げられる精神の二項対立。

4. 仮に彫刻家のフェイディアスが用いる素材が、作品の完全な多様性にそぐわないなら[……欠落……]歌い手があたう限り全うしようとしても、私たちは原因をその歌い手に帰すわけではなく、無力な弦を咎めるのであり、というのも張力をわずかに弱めたばかりに、張力をたるませたために、甘美な歌のリズムを損なったからである。

5. だが、楽器について偶発的事故が生じても、誰も歌い手を非難しはしないだろう。ただ、楽器が悪く言われるほどに、しばしば弦がちょうどの音程で弾かれるときには、歌い手の栄誉は高まっていくのだった。[欠落]聴衆も、より大きな称賛をその歌い手に送り、その者にほとんど不平など抱かなくなる。そのように、あなたがた高貴な人々もまた、内面の竪琴を歌い手に合わせてごらんなさい。

6. けれども、巧者の中には、竪琴の作用がなくとも、高貴な調べの準備ができていれば、しばしばおのれ自身を楽器のように使い、密かな方法でもって弦の調子を合わせ、必要に応じた調べを荘厳に奏でて、聴衆をたいそう驚かせてみせる者がいることも見て取れる。歌を司る神の寵愛を受けていたあるキタラ弾きの歌い手などは、あるときコンテストで弾き語りをしていると弦が切れ、競技が続けられなくなったが、支配者の采配によって切れた弦が補われ、名声を得るよう恩寵が与えられたと言われている。というのは、弦の代わりに蝉が、支配者の采配によりそこに止まり、メロディを補完し、その場を収めたからである。そのためキタラ弾きは、弦にほどこされた治療により苦痛を癒され、勝利の栄誉を勝ち取ったのだ。