プロクロスによる数学と想像力

Études sur le commentaire de Proclus au premier livre des éléments d'Euclide前にも出たけれども、原論の注解書でプロクロスは、数学が扱う対象(より正確には幾何学が扱う対象)を感覚的与件でも純粋な知的対象でもないとして、両者の中間物、つまり想像力の対象として規定している。注解書でこれに触れている部分は、序論第一部の末尾あたりから序論第二部。現在鋭意読み進め中。で、これに関してとても参考になる論考があった。ディミトリ・ニクーリン「プロクロスにおける想像力と数学」(Dimitri Nikulin, Imagination et mathématiques ches Proclus)。所収はアラン・レルノー編『エウクレイデス「原論」第一巻へのプロクロス注解書の研究』(Études sur le commentaire de Proclus au premier livre des éléments d’Euclide, éd. Alain Lernould, Presses universitaires du Septentrion, 2010)。プロクロス注解書に関する2004年と2006年の国際会議にもとづく論集で、先の普遍数学史本の著者ラブーアンをはじめ、様々な論者が多面的にアプローチしているなかなか興味深い一冊。で、ニクーリンの論考は、なにやらわかったようなわからないような感じの「感覚的与件と知的対象の中間物」について、その諸相をプロクロスの本文に即してうまく整理してくれている。

それによると、プロクロスのこの数学的対象の議論は、どうやらイアンブリコスの『共通数学について』という書の議論を取り込んだものらしく、さらに遡ればプトレマイオスの『アルマゲスト』に行き着くということらしい。中間物というだけあって、その対象は感覚的与件に見られるような、生成流転の途上にある不安定な特徴を備えるとともに、推論にもとづく思惟の対象であるロゴスの特徴も併せ持つ。たとえば円が与えられたとして、現実の円形のものが感覚的対象であるなら、知的対象は円という抽象概念であり、数学的対象はというと、延長をもち分割可能な、想像力における一種の像(σχῆμα)をなし、と同時にそれは現実にはない完全な円として思い描かれる。質料形相論的には、それは想像力を質料として成立する実体として、物理的世界の対象とは別物の扱いになっているという。プロクロスはまた、その質料をなす「想像力」をアリストテレスが示唆する「受動知性」(霊魂論、III, 5, 430a10-25)と同一視しているともいう。うん、このあたりは個人的にもなかなか興味をそそる部分だ。