イアンブリコスの霊魂論

Giamblico. «De anima». I frammenti, la dottrinaルクレツィア・イリス・マルトーネ『イアンブリコス「魂について」—断章、教義』(Lucretia Iris Martone, Giamblico. «De anima». I frammenti, la dottrina, Pisa University Press, 2014)を読んでいるところ。イアンブリコスの霊魂論の断章本文の校注・翻訳(同書の中間部分)を含む、総合的な研究書。イアンブリコスの霊魂論がドクソグラフィー的(魂をめぐる諸説を集めたもの)だという話は前から聞いているけれど、その残っている断章を見ると確かにそういう感じではある。アリストテレスの教説に対してプラトンおよびプラトン主義者の説を対置していたり、さらにはプラトン主義陣営内ので異論なども拾ってみせている。もちろんそれら以外の学派や思想家たちについても取り上げている。

たとえば魂がいくつの部分から成るかという問題。アリストテレスが魂のの不可分性を取り上げるのに対して、プラトンは魂が3つの部分から成るとする(断章13)。機能的区分ならば、ゼノンなどは8つを区別し、アルキュタスやピタゴラス派は3つ、アリストテレスも5つを区分しているとまとめている(断章14)。プラトン主義陣営内の異論ということで言えば、運動機能などをめぐって、プロティノスやポルフュリオスは、形相や生命、諸作用が単一の秩序(調和)、単一のイデアに帰結すると考えているのに対して、ヌメニオス、アッティコス、プルタルコスなどは論戦を張っているという(断片23)。このあたりの相違などを詳細を読み解くのが、同書の後半をなす著者マルトーネによる教義についての論考ということになる。もちろんイアンブリコス自身の考え方も復元の対象に。

同書の前半部分は研究史などを批判的にまとめている。それによると、基本的にこれらの断章がドクソグラフィー的なのは、それらを収集・編纂した五世紀のヨハネス・ストバイオスの方針のせいなのだという。本来イアンブリコスは、様々な異論を取り上げた後に自説を展開していただろうというのだけれど、残された断章にはあまりそれが取り込まれていない。そんなわけで、あまりにも長い間、イアンブリコスは折衷主義的(アリストテレスとプラトン主義の)で哲学的には見るべきところがあまりないと一蹴されてきたという。状況が変わったのはつい最近(70年代くらいから再評価の兆しがあり、とくに顕著になったのが1990年代以降)で、そのプラトン神学の議論がプラトン主義陣営内の対立などを反映しているとして再評価を得たのだ、と。霊魂論に限っても、その全体的な構成について、従来のものを批判的に捉え異なるかたちで復元の試みがなされている。

余談だけれど、前回のエントリーで触れた、プロクロスの先駆とも位置づけられるイアンブリコスの『共通数学について』(De Communi Mathematica Scientia)もネット上にある。これも後で読みたいと思っている。