無限小をめぐる攻防

無限小――世界を変えた数学の危険思想秋の注目本はいくつかあるけれど、これもその一つ。アミーア・アレクサンダー『無限小――世界を変えた数学の危険思想』(足立恒雄訳、岩波書店)。全体の3分の2くらいにあたる第一部を読んだところだけれど、これは実にヴィヴィッドに描かれた「不可分者」(一種の原子論)をめぐる攻防の物語。様々な登場人物(主人公?)たちが登場し、さながら群像劇のよう。話はプロテスタントの台頭から始まる。カトリックの反改革の先鋒となったのがイエズス会。そのイエズス会の中にあって、それまで低い扱いでしかなかった数学の地位向上に努めたという16世紀後半のクリストファー・クラヴィウスが第一の主要人物だ。カトリック勢力の秩序の立て直しという文脈の中で、数学こそがそうした秩序を体現するとしたクラヴィスは、伝統的なエウクレイデスの原論に依拠し、簡単な定理から徐々に複雑な図形を論証していくという幾何学を重視する。ところが折しもここに、ガリレオを中心とする「不可分者」の考え方、つまり線分は不可分な点の集まり、面は無限の線分の集まり、立方体は無限の面の集まりとする考え方が勃興する。秩序重視の伝統的数学に対して、これは現実世界からの着想を重視する立場で、著者は本文中で何度か、両者をそれぞれ「トップダウン」の数学と「ボトムアップ」の数学と呼んでいる。で、この後者の一派の中心をなすのは、ガリレオというよりもその弟子筋にあたる人々。まずは弟子の一人カヴァリエリが第二の主要登場人物となり、以後イエズス会側の論客(ギュルダン、タッケという第三、第四の主要人物)とこのガリレオ派(第五の主要人物としてのトリチェリなど)とが、熾烈な論戦を繰り広げていく。

興味深いのは、双方の勢力の浮き沈みが、時のローマ教皇庁や各国の諸勢力など巨視的なパワーバランスの布置によって左右されていること。著者はそうした政治史と数学史の話とを巧みにリンクさせて、重層的に描いている。これが実に読ませるところだ。そもそも不可分者の問題は単に数学の問題というだけでなく、世界の秩序や認識論、ひいては信仰そのものを賭すほどの大きな問題にリンクしている。そのためイエズス会は自前のコレジオでそれを教えることを徹底して禁じるし、一方でその信奉者たちはそこに、法則などの発見的役割といった新たな豊穣なメソッドを見出している。そんなわけで、一見些末なものでしかないように見える論争は、実は各人の陣営の存在意義や存続可能性そのものに関わる全面戦争の様相を呈していく。

不可分者の議論は実は14世紀ぐらいから様々な形でなされているのだけれど(以前これはメルマガでも少し見たが)、残念ながら同書は宗教改革から語り始めているためにそのあたりは扱っていない。でもそちら黎明期にもそれなりのドラマがあるはずなのだけれどね。ちなみに、同書の残りの第二部はホッブズやジョン・ウォリスがストーリーの中心となるようだ。