ディオファントスの受容

前々回のエントリで取り上げたラーシェド『アラビア数学の展開 で、何度も言及されて、ある種の「背景」をなしていた事象として、ディオファントスの再解釈がある。ディオファントスは代数の祖というふうに言われることもあるけれど、同書ではそうではないという立場を取っている。ディオファントスは『算術』がクスター・イブン・ルーカーという人物によって翻訳されてアラビア世界に入ったのだという(10世紀?)が、実はそれ以前に、フワーリズミーなどによって代数はその名前をすでに獲得していて、独立した分野として発展していたのだとか。したがってディオファントスはここで、むしろ「フワーリズミーに続く者」と位置づけられるのだ、とラーシェドは論じている。ちなみに西欧でのラテン語訳は、16世紀にボンベッリが訳してたものの刊行はせず、最も知られた翻訳は1621年のバシェ訳とのこと。フェルマーが例の最終定理を書き込んでいたのも、バシェによるラテン語訳の『算術』第2巻第8問の欄外だったのだとか。

そもそもの『算術』の意図について、ラーシェドは、「算術の要素を、多数の単位としての数であるとし、その分数部分を、量の部分であるとするような、算術理論を構築すること」(上掲書、p.195)だったとしている。ディオファントスのアラブ世界での受容は、代数に関しては「その革新性においてというよりも、その拡張において顕著だった」(上掲書、p.197)とされる。しかもそれは、代数を扱う人々よりも、ユークリッドの伝統に属する人々によって発展させられたのだとラーシェドは語っている。ユークリッド的な観点からディオファントスは読まれたといい、それが西欧の16、17世紀のディオファントス受容と同じような理解に、はるかに早くから達していたというのだ。うーん、このあたり、とても面白い論点になっている。アラビア数学、恐るべし、という感じか。

余談だが、『算術』の一部を含むディオファントス関連の断章は、前に取り上げたLoeb版の『ギリシア数学著作集(第二巻)』(Greek Mathematical Works: Aristarchus to Pappus (Loeb Classical Library)にも収録されていて、とりわけ、べき数などの表記法を考案した人物として紹介されている感じだが、この表記法がまたすこぶる興味深いものではある。慣れないと混乱してしまうようなものではあるのだけれど……。さらに余談ついでだが、同書に、ディオファントスの記した言葉ということで、アレクサンドリアのテオンからの次のような引用がある。”τῆς γὰρ μονάδος ἀμεταθέτου ὄυσης καὶ ἑστώσης πάντοτε, τὸ πολλαπλασιαζόμενον εἶδος ἐπ’ αὐτὴν αὐτὸ τὸ εἶδος ἔστιν. “(「単位は無限であり、かつ、いたるところで一つであるとすると、種に同じものをかけて多数化したものは、同じ種である」)。この「種」というのが、微妙にわかりづらく、個人的にはいわゆる「底」のことかしら、などと思ってスルーしていたのだけれど、ラーシェド本によると、どうやらこれはべき数のほうを指しているらしい(このεἴδοςをクスター・イブン・ルーカーはnaw’(نوء)と取っているといい、またバシェはspeciesと訳しているという)。うーむ、古代の数学書はなかなか難しい(苦笑)。

1621年のバシェ訳『算術』の表紙 - wikipedia(en)から。
1621年のバシェ訳『算術』の表紙 – wikipedia(en)から。