バークリーの観念論

いくつか読んでみて、電子書籍をモバイルデバイスで読むというスタイルにも慣れてきた。とくに新書や文庫はこれで/これがいいのではないかという気さえしてくる。もちろんまだ、新刊と同時に電子書籍化されないものも多いので、それは致し方ないけれど。

観念論の教室 (ちくま新書)で、これもまた電子書籍でだけれど、バークリーの観念論に関する入門書を読んでみた。冨田恭彦『観念論の教室 (ちくま新書)』(筑摩書房、2015)。よく整理されていて好感。バークリーの観念論といえば、人間の知覚はどもまでいっても観念でしかなく、外部世界それ自体にアクセスすることは決してできないというもの。ある意味唯名論をさらに押し進めて、個物そのものの存在すら否定してかかるという極北の思想だ。その観念一元論の世界には因果関係すらないとされる。すべては神の意志にもとづいて同時的に生じるのでしかない、と。翻って神だけは実在するとされ、それがすべてを司るのだ、と。興味深いのは、やはり著者による批判が展開されるところ。当然、すべてが知覚=観念であるとするなら、その担保としての神が外部世界に実在するという認識はどこからくるのか、という疑問点なども指摘される。また、バークリーのそもそもの出発点になっているのはやはりジョン・ロック流の、外的世界を認める二重存在説なのだといい、バークリーの議論の構成が、そのあたりを問わない形で展開するようになっているところなども鋭く突いている。

一方、そうした上で、著者がバークリーの観念論をある意味好意的に見ている点も好感がもてる。デカルトなどの孤独な主体性を「暗い観念論」とし、対するバークリーのものを、神も他人も認める(モノだけは認めない)という点で「明るい観念論」だとして、そこに「知的魅力」を感じると評している。この対象愛が、同書の全体を「明るい」ものにしている気がする。