魂と物体(アヴィセンナの場合)

中世イスラムにおける心身問題(霊魂と身体の結びつき問題)に、ちょっと変わった角度からアプローチしている論考を見かけたので読んでみた。扱われているのはアヴィセンナ。ヤシン・R・バシャラン「アヴィセンナによる霊魂の物体操作力」(Yasin Ramazan Başaran, Avicenna on the Soul’s Power to Manipulate Material Objects, Eskiyeni, vol 30, 2015 )。「これって超能力話?」とか思ってしまうけれど(笑)、要は、霊魂が離在的に物質に働きかけることができるかという問題を、アヴィセンナがどう捉えていたか検証する論考。基本を押さえたストレートな論文という印象。前半は先行研究からの関連箇所をまとめていて、グタス、グッドマン、ドリュアールなどの研究から、そうした離在的な働きかけについて考えるアヴィセンナの諸前提を抽出している。

アヴィセンナの場合は流出論が基本で、上位のものは下位のものに原則働きかけることができる。したがって魂は物質(身体を含めて)に働きかけることができることになる(心身問題的に、魂が身体にどう結びついているかという点は不可知とされるものの、その結びつきは基本的にどうでもよくて(偶有的なことだとされる)、要は前者が後者を動かすことができればよい。身体が必要とされるのは、上位の知性界の上下関係の構造を物質世界に再現するためとされる)。魂にもとからある自由意志が行使される際には、上位の知性が参照され(それが魂に刻まれ)、自然の因果関係を踏み越えて物質に働きかけることができるとされる。ただ、魂のそうした自由意志力の強度、密度は人それぞれなので、物質への働きかけがもとよりできる人(預言者など)もいれば、なにがしかの訓練を経なければできない人(一般人)もいる……。いずれにせよ、魂と物質が存在論的に異なっているということと、コスモロジカルな構造が地上世界にも刻まれることが基本的な要件のようだ。

そうしたことを前提に、後半では、アヴィセンナ後期の書の一つとされる『所見と勧告』の第10巻(超自然な出来事について述べている部分)を取り上げて、超自然的な現象についての議論を紹介している。そこでは、超自然的な現象が可能になるケースは三つに分類されているという。一つめが主体に自然の能力としてそうした現象を起こす力が備わる場合(預言者の場合や、たとえばにらみつけるだけで呪いをかけられるという凶眼、魔術などがこれに分類される)、二つめが自然の産物の属性による場合(磁石の働きや、ある種の呪術的効果など)、三つめが天空の力、地上世界の物体、魂などの諸関係によって生じる場合(護符の作用など)。この後半部分の論述は物足りない気がするが、全体としては今後の研究を期待させる感触あり(かな)。