政治思想の転換期(14世紀)

ヨーロッパ政治思想の誕生メルマガのほうでパドヴァのマルシリウスを少し囓っているけれど、それに関連して、将基面貴巳『ヨーロッパ政治思想の誕生』(名古屋大学出版会、2013)を読んでみた。12世紀から14世紀にかけてのヨーロッパ政治思想史の流れをまとめた一冊。扱われる比重の高い思想家とその内容を順に挙げておくと、人体と政体のアナロジーを語った嚆矢ではあっても「君主の鑑」の伝統を抜け出てはいないソールズベリーのジョン、同様の身体イメージをもとに、団体理論の発展に貢献した教会法学者のホスティエンシス、支配権概念を拡張して教皇絶対主義を唱えたエギディウス・ロマヌス、聖俗両権の二元論を唱えた反・教皇絶対主義者のパリのヨハネス、教会と国家の分離を押し進めようとしたダンテ、現世における教会の支配権を基本的に認めない医学畑出身のパドヴァのマルシリウス、聖俗両権の分離を認めつつも、危機管理の理論として、場合により一方への他方の介入を許すという立場を取ったオッカム、反教皇的立場を取りつつ、教会論のいっそうの神学化を図ったというウィクリフ、公会議主義を標榜しつつ教皇座の寡頭制を支持するザバレラ、公会議主義を徹底しようとするジャン・ジェルソン……。

いろいろな人物や流れが取り上げられているが、真に中心をなしているのはマルシリウスという感じ。たとえばウィクリフもオッカムも、マルシリウスとの対比で語られている。教会の強制力を認めず、教会を世俗の国家の側に取り込んでしまうという、ある意味画期的な議論をマルシリウスは展開しているのだけれど、オッカムは教会制度そのものを批判してはいないといい、ウィクリフは「改革」を志向しつつも、教会論はきわめて神学的なものだという。また、マルシリウスが人民の同意にもとづく国王の選出を訴えるのに対して、ウィクリフは国王の支配権を神の意志という不可知なものに帰し、暴君すら許容しようとするという。このあたりはなかなか面白そう。また、全体として、アウグスティヌスやアリストテレスに加えて、政治論的にはキケロの伝統というのもあるという話や、マルシリウス以前の伝統的な「同意」概念があくまで形式的なものにすぎなかった(同意は最初から与えられるのが前提だった)といった話、あるいは多数決の原理に関して、12世紀の教皇選出手続きにおいて出席者の三分の二を「多数」とし、これをもって全体を拘束する原則が広まったといった興味深い話もちりばめられている。そのあたりも含め、いろいろと確認・検証してみたくなってくる。