中道の政治?

昨年からLoeb版でアリストテレス『政治学』をちびちび読んでいる。統治形態について記した第四章をほぼ終えて、全体の半分ほどにまで来たところ。この第四章はなかなか面白くて、寡頭制と民主制を両極とする軸を考えて、現実世界のさまざまな政治形態はその軸線上に位置づけられると見ている。また、寡頭制も民主制も、そのままではその政治形態の主要な構成者たち(前者なら貴族や裕福な者、後者なら一般大衆や貧しい者)の利益誘導に陥って堕落してしまうとし、理想としては両者の中間層が政治を担う体制が望ましい、としていたりする。民主制を手放しで喜ばず、そこに堕落の契機を見出して、むしろその体制を相対化しようとするところが、まさにアリストテレスの中道思想の真骨頂という感じになっている。

隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】で、これに関連して(というわけでもないが)、年越し本の一つとしてハイエク『隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】』(西山千明訳、春秋社、2013)を読んでみた。昨年、ジュンク堂がいったんやめた「自由と民主主義のための必読書50」に入っていたのに、結局フェアの再開時に外されたものの一つが同タイトルで、とても気になっていた。実際に読んでみると、社会主義的な動きの中に全体主義の芽があるとして、計画経済的なものを「集産主義」と括って一蹴している強烈な一冊。返す刀で民主主義が必ずしも理想(ハイエクの言う自由主義)を導くものではないことをも主張する。

ハイエク - 「保守」との訣別 (中公選書)これを読むための参考書として楠茂樹・楠美佐子『ハイエク – 「保守」との訣別 (中公選書)』(中央公論新社、2013)というのも眺めてみたが、ハイエクはやはり、民主主義を絶対視しておらず(そこに全体主義が結びつく可能性があるからだという)、それがハイエクにおいて最も反発を受けている主張の一つなのだという(民主主義によらない自由主義?)。民主主義を相対化しているという意味では、上のアリストテレスの路線にどこか重なるスタンスでもある。レーガン政権やサッチャー政権で盛んに参照されたことなどから、保守派の論客とされてきたハイエクだけれど、本人は保守主義というものは本来、形のないものだと喝破し、そこから一線を画しているという。ハイエクが寄りどろろとするのはあくまで自由主義であり、それは社会主義と保守主義の「中間のどこか」(同書p.206)をなすとしている。これまたすこぶるアリストテレス的だ。