空疎なものの空恐ろしさ

明治の表象空間前回のエントリでも触れたけれど、ハイエクは保守というものは本来、内実がない空疎なものだとして一線を画そうとしていたという話だったが、そうした空疎なものは、逆にそこに様々なものが備給されて、いかようにも利用されうるという怖さがある。これも年越し本として読んでいる(まだ半分)、松浦寿輝『明治の表象空間』(新潮社、2014)は、まさに明治時代のそうした空疎な表象の数々を、その成立から分析していて大変興味深い。ちなみにこれは電子本で読んでいる。序章からして、扱われるのは「国体」なるものの空疎さの指摘だ。「外部からの脅威に反応して華々しく立ち騒ぐ過敏なシニフィアン(中略)は、その内包するシニフィエに関するかぎり甚だしく貧弱で、ほとんど無に等しいとさえ言ってもよい」(序章、5.7%)という。ところがそれは、「明治から昭和にかけての日本人の意識を呪術的に拘束してきた」(同、5.8%)。国体は意味のインフレを起こして、「どのような文脈、どのような主張にも奉仕されうるように」(同、5.9%)なっていく。このことを的確に見抜いていたのが北一輝だった、という話が続く。

その後、本論では警察制度、戸籍、刑法などの諸概念が続いていく。そしてこの空疎さについての議論が、天皇が用いる一人称「朕」の特殊性などの話、さらにはその教育勅語の話において再度取り上げられていく。起草者たちは勅語を「現実とは無縁の「空言」であり、またそうでなければならぬ」と考えていたといい、「ただし、「顕教」としての天皇の権威が保たれることこそ明治政府のイデオロギー的基盤である以上、いかなる場合であれその「空」は「至尊」のオーラをたなびかせた言説として組織されなくてはならない」(29章、49.7%)というのだ。「徳目自体は(中略)五倫の徳程度」と、空疎なものだった教育勅語は、一方でそれらの徳目が「「皇祖皇宗」の建立した「深厚い」なる始原の徳の上に基礎づけられることによって初めて存立」するとされ、つまりは「普遍性を特異性に読み替えるというこのトリック」によって、「(中略)特異性の顕現を逆にいよいよ際立たせることに」なったという(以上、30章、51.2%)。まさにそこから、戦前期の教育勅語の意味論的な簒奪なども生じていく……ということか。