小説的引用 – エーコへのオマージュ

先月19日に亡くなったウンベルト・エーコへのオマージュとして、遅ればせながらだけれど、エーコについて論じた論考をいくつか眺めてみた。エーコ自身が多彩な活動で知られていることもあり、こう言ってはなんだが、論考もなんだがピンキリという印象(苦笑)。現代思想風なタームを散りばめて、それっぽいけれどなんだかよくわからないというものもあったりする。そんな中、ざっと眼を通した限りではちょっと面白かったのが、小説『薔薇の名前』での引用について考察したフランチェスコ・バウシ「『寄せ集め、彩りの頌詩、計り知れない折句』ーー『薔薇の名前』における引用句の現象学」(Francesco Bausi, “Un centone, un carme a figura, un immenso acrostico”. Fenomenologia della citazione ne “In nome della rosa“, in «E ‘n guisa d’eco i detti e le parole». Studi in onore di Giorgio Barberi Squarotti (2006))。明示されている引用としてはダンテやホラティウス、アウグスティヌスなどがあり、また、より興味深い引用として、二次文献の引用があるといい、論文著者はクルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』を例として挙げている。ネタ本の一つになっているというわけなのだが(ホイジンガもだけれど)、そこに微妙な表記の揺れが混入していたりするのだという。『カルミナ・ブラーナ』からクルツィウス、そしてエーコと、いわば転記を経ている箇所などもあって、表記の変更が作為的・意図的なものなのか微妙な問題として扱われている。

また個人的に興味深いのは、小説の主人公バスカヴィルのウィリアムの造形の一つの元ネタとして、ロジャー・ベーコンがあっただろうという話。とくに魔術に対するウィリアムのスタンスが、ベーコンをベースにしたものだと論文著者は指摘する。ほかにも隠れたソースがいろいろあるということで、小説内で描かれる付属図書館の司書から司書へと口頭で秘密の知識が伝えられていくといったあたりの話はカバラーが下敷きになっていて、そのあたりの記述はピコ・デラ・ミランドラの著書にも見出されるといった話などが続いていく。ピコについては、エーコの小説第二作『フーコーの振り子』に明示的な引用があるという(うん、確かにそうだったように思う)。語りの構造はトーマス・マンの『ファウスト博士』が下敷きになっている(これはエーコ自身が語っている)とのことだが、アドソとウィリアムは、もちろんマンの作品中の人物ツァイトブロムとレーヴァーキューンにそのまま重なるわけではなく、一部の造形(登場人物が体現する価値観など)が相互に錯綜していたりもする、と。