心的な動きと実践的三段論法

心の論理―現代哲学による動機説の展開前に取り上げた『推論主義序説』もそうだけれど、心的な動きを論理の側面から精緻化しようとするというのは、このところ注目している一つの流れ。そういうことが解釈できるだけの材料が、哲学史的にもそろい踏みになっているということなのだろう。というわけで、これもまたそういう領域に挑んだ一冊。金子裕介『心の論理―現代哲学による動機説の展開』(晃洋書房、2016)。人が行為にいたる素朴な論理の道筋は必ずしも明瞭に分節化されるとは限らないけれど、それをなんとか緻密に理論化しようという試みなのだが、同書ではそのために、現代思想の枠組みに古典を注ぎ入れてみせる。なんとも大胆なメソッドだ。著者はまずアンスコムやデイヴィドソンの議論(実践的三段論法)から出発し、規範的な力とは何かという問いを据えて、オースティンの言語行為論すらをも乗り越えようと試みる。いったんはベンサムの功利主義にまでたどり着くかと思いきや、そこからさらに「規範」の根拠を見据えるべく、カントを再考する。こうして、通常の論理的推論では却下される「個人」から「万人」への推論的拡張が、実践的三段論法において規範的な力をなしているということを明らかにしてみせている。もちろんそれぞれの論者の議論はやや図式的にサマライズされているし(その是非について批判もあるのかもしれないが)、その行き着く先も、着いてしまえばさほどの意外性はないけれども、それらの議論の狭間を巧みに縫って進むような展開は実にスリリングだし、それを軽快なテンポで読ませてくれるその語りが秀逸。