『生成消滅論』注解小史の流れ

ずいぶん前に囓りかけて中断していた、ビュリダンによる『生成消滅論』への注解書をまた改めて読んでいこうと思っているのだけれど、少し前にそのための参考書になるものを探してみたところ、ヨハネス・ティッセン「アリストテレス『生成消滅論』注解の伝統序文」(Johannes M.M.H, thijssen, The Comentary Tradition on Aristotle’s De generatione et corruptione. An Introductory Survey, The Commentary Tradition on Aristotle’s De generatione et corruptione, Brepols, 1999)というのを見かけた。で、ようやくこれにざっと目を通すことができた(残念ながら、このPDF、現在はダウンロード不可のようだ)。『生成消滅論』の注解については、アリストテレスのほかの著作に比べると研究が少ないようで、この序文ではまずアリストテレスのもとのテキストの要約・紹介し、続いてあまり現存するものがないというギリシアの注解の伝統について触れ、中世のラテン語訳(いわば旧訳。クレモナのゲラルドゥス、ピサのブルグンドゥス、メルベケのウィリアムの三つの訳があるという)、1400年から1600年ごろイタリアとフランスで行われた新訳の話が続き、それからラテン世界での註釈の伝統が取り上げられる。アリストテレス自然学の大学でのカリキュラムへの流入はもちろん転換点をなしているものの、『生成消滅論』がそのカリキュラムでどういう位置づけになっていたかはあまり注目されてこなかった、と著者は指摘している。一方でアルベルトゥス・マグヌス以降にその注解の流れもでき、とりわけ「ビュリダン派」(ビュリダン、ザクセンのアルベルト、ニコラ・オレーム、インゲンのマルシリウスなどを指す仮称とされている)による議論が大きな流れをなす、と。

同文章は論集の序文にあたり、そこでは上のそれぞれの話について、同論集に収録された各論考が引き合いに出されている。それぞれなかなか面白そうなので(たとえばビュリダンについては、「破損した身体の部分が再生した場合、それは数的に一と見なせるか」という問題についてのビュリダンのテキストをめぐる論考などがあるようだ)、そのうちぜひとも論集全体を見てみたい。