デモクリトスの不可分論再考

少し前に取り上げた『生成消滅論』注解の略史を含む論集本体を手に入れた。ティッセン&ブラークハウス編『アリストテレス『生成消滅論』への注解の伝統』(Thijssen & Braakhuis, The Commentary Tradition on Aristotle’s De generatione et corruptione, Brepols, 1999)。その収録論文に少し面白いものがあるので、早速メモっておく(ざっと見ただけなので、多少ズレているところもあるかもしれないが)。今回取り上げるのはジョン・マードック「『生成消滅論』第一巻第二章での、デモクリトスの反・無限分割論についてのアリストテレスの見解」(John E. Murdoch, Aristotle on Democritus’s Argument Against Infinite Divisibility in De generatione et corruptione, Book I, Chapter 2, pp.87 – 102)。一般に、デモクリトスはその原子論的なスタンスから、アリストテレス的な無限分割論(たとえば線分は、点にいたるまで分割できるだけでなく、際限なく分割できるとする)に反する立場とされている。けれどもこのデモクリトスの議論は、アリストテレスが同書で報告している文章がもとになっていて、どこまでフェアな見方なのか微妙でもある。中世の注解を経て以降はなおさらだ。論考はこのあたりの状況を再考しようとしている。

現代的な見地からは、アリストテレスが報告しているのは確かにデモクリトスの教説だろうとのことだが、一方でアリストテレスによる「舞台演出」もまた施されているのだろうという。おそらくはそうした部分に、後世の注解が様々な道具立てを設定し、アリストテレスの擁護とデモクリトスの糾弾をある意味「過剰に」施していくことになるのだろう。たとえば、デモクリトスの考え方は「ありえない」とされた論点の一つに、「物体は面から構成されている」(おがくずなどを念頭に置いた教説らしい)という考え方があるという。中世盛期以降、デモクリトスに帰されているというが、実はこれ、デモクリトスにもアリストテレスにも証拠となるパッセージが存在しないのだとか。この説をデモクリトスのものとして含めたのはアルベルトゥス・マグヌスが最初らしいといい、次いでエギディウス・ロマヌス(13世紀末から14世紀初め)がそれを自身の信奉者の間に広めていくことになり、さらにはヴェネツィアのパウルス(14世紀末から15世紀初頭)やジャン・ビュリダンなどが改めて取り上げていくのだという。

もう一つ、より核心的な論点もある。これも現代的見地からだが、デモクリトスの言う不可分なものは、あくまで理論上の不可分なものであって、物体的なものを分割していけば数学的な不可分なものに行き着くと述べているわけではないのだろうとされる。けれどもアリストテレスは、デモクリトスは結局、数学的な不可分なものに言及していると捉えていた。で、デモクリトスの誤謬は、分割可能なもの(理論上の可能態)と、実際に分割されたもの(現実態としての分割)とを区別していない点にある、とされるようになる。エギディウス・ロマヌス以降、まさしくそのことが、デモクリトスへの批判の要をなしていくことになるのだという(対するアリストテレスの無限分割論は、あくまで理論上の分割可能なものをめぐる議論というわけだ)。これもまた、後にビュリダンやパウルスなどが繰り返し取り上げていくことになるのだという。