「複数世界」

複数世界の思想史これまた読みかけだけれど、長尾伸一『複数世界の思想史
』(名古屋大学出版会、2015)
を見ているところ。複数世界、と言っても、これは可能世界論の話というよりは、近世の天文学の刷新によって生じた、星が生物の住処でしかも無数にあるというという新しい世界観(人間だけが特権的な被造物であるという単一世界論が崩れた時代の)の話。どちらかといえば自然学系、科学史的な話だ。確かに言われてみると、天体には生物が棲まうという考え方の歴史的位置づけ(そういう考え方がどのように、どこから生じてきたのかという問題)を取り上げた議論は、これまであまり見かけたことがない。その意味ではなかなかに貴重な研究。主に17世紀から18世紀を扱っているようだけれど、その手前の前史についても目配せしている。

その前史部分(第二章)では、そうした複数世界論は実は古代からあった、ということが論じられている。ただ、著者はそこで連続の相をとりわけ重視しているため、形而上学的な複数世界の可能性(神の創造性に絡む「パラレルワールドはありえるか」といった議論で、その肯定側としてとくにオレームやビュリダンなどが挙げられている)と、自然学的な複数世界(クザーヌス以降の、単一ながら無限であるとされる空間に他世界があるという議論)とがどこか地続きであるかのような議論になっている印象なのだが、個人的にはむしろそこに断絶線を見るほうがよいのではないか、という気がする。霊的なものとしての天体が「棲まう」場として天空が層をなしているといった古代からの世界観(中心にはもちろん人間世界がある)は、他世界を含む中心をもたない空間という世界観とそのまま直結できない、あるいは後者は前者からそのままでは発出しない、と思われるからだ。けれどもその場合、では後者の世界観はどのように析出もしくは産出されていったのか、というとても興味深い問題が浮上してくる。ある意味、そういう問題提起を投げかけてくるのが同書の第二章という印象だ。クザーヌスおびその周辺はちゃんと読まないと、という気にさせる(個人的に、以前にもそう言っていたような気がするが、まだちょっと余裕がない)し、またクザーヌスの次の世代にあたるコペルニクスについても同様。著者はコペルニクスの「知的冒険」について、それを突き動かしたのは、アレクサンドル・コイレが主張した新プラトン主義やヘルメス文書ではなかったかもしれない、と述べている(p.46)。うーむ、このあたり、なかなか面白そうだ。

余談ながら、同書の主要部分を占める17世紀と18世紀についての歴史的跡付けについては、研究リソースとして専門的なデータベースの使用が言及されている。17世紀はEEBO(Early English Books Online)、18世紀はECCO(Eighteenth Century Collections Online)というのがあって、英語文献を中心に全文検索できるらしい。長い年月をかけて古書を猟渉するのに代わり、入手も困難な書籍が簡単に閲覧できるという意味で、これはなかなか画期的だ。研究の中味も当然変わっていくのだろう。マイナーな書籍や著者をも議論に引き入れることが可能になる反面、それだけに、こうしたデータベースを丹念に、網羅的に読み渉っていくこともまた、新たな、相当に骨の折れる作業になるのだろうな、と……。