ルイスの可能世界……

世界の複数性について
早読みできない・しても仕方ない部類のものとして今秋最大の一冊といえば、個人的にはやはりディヴィッド・ルイス『世界の複数性について』(出口康夫監訳、名古屋大学出版局、2016)。少し前からちびちびと読んでいるところ。でもって、さっぱりはかどらない(苦笑)。まだ一章が終わっておらず、その末尾あたりをウロウロしている。でもその様相理論(様相実在論)の考え方はなかなか興味深い、ということだけはわかる。「〜は可能である」「〜は可能でない」といった様相を伴った命題を、集合論的な考え方で捉え直すというのは、その命題の論理的な関係性、あるいは記述的妥当性を、大きく拡張することになる。たとえば「Aは可能である」という命題は真になるが、「Bは可能である」という命題は偽であるとされるような場合でも、それらの真偽の線引きを集合によって説明するならば、それらは別々の集合の要素ということになって、命題としての妥当性においては両者はともに同等ということになる。ただそれぞれの属する集合、つまりはそれぞれの立脚する世界が違うことによって、相対的・構成的に真理値が異なってくるだけだ、と……。

この集合論的な考え方は、思考ばかりか、たとえば言語そのものの捉え方などにも適用されうる、という。ルイスは人工的なミニチュア言語を想定し、たとえば修飾詞や結合詞などについて、それを「意味論的値を返すもの」という考え方で一種の関数と見なしている。文の意味論的値を真理値と同一視すると、それら修飾詞や結合詞は、その文の真理値を受け取って、真理値を返す関数となる(たとえば「真」を受け取って「偽」を返すとか、「偽」を受け取って「真」を返すとかetc)……。このあたり、なにやら大昔に読んだ、計算機での自然言語処理の教科書本を少しだけ思い出す(笑)。