「考古学」というアプローチ – 1

L'archeologie Philosophique (Bibliotheque D'histoire De La Philosophie)アラン・ド・リベラの講義録の第二弾が出ていたので、早速ゲットし見始める。『哲学の考古学』(Alain de Libera, L’archéologie philosophique (Bibliothèque d’histoire de la Philosophie), Vrin, 2016)というもの。2013年から14年にかけてのコレージュ・ド・フランスの講義録で、先の講義録を補完する内容のようだ。リベラは自分が使う「考古学」というアプローチを吟味し直すところから始めている。10回の講義のうち、まだ冒頭の3回分をざっと見ただけだが、フーコーが取り組んだ知の「考古学」概念について、ここではさらなる精緻化を試みようとしているかのよう。そこで問題とされるのは、もはや単なる「ディスクール」ではなく、ロビン・ジョージ・コリングウッド(20世紀前半の英国人哲学者)を引き合いに、哲学史の領域は「疑問と応答(応酬)の複合体」(CQR : complexes of questions and answers)から成るという考え方のもと、そうした疑問と回答の相互のやり取り・ネットワークとして哲学史が再考される。その事例として、リベラはここで例のヴィクトール・クザンによる普遍論争の紹介を取り上げている。ポルフュリオスの問いかけが普遍問題として見いだされる過程にメスを入れようというわけだ。

ポルフュリオスの『イサゴーゲー』は冒頭で、イデアはあるかないかと問うている。実際には少し長い文(段落)であり、そこで示される問題というのは、(1)「類や種がそれ自体としてあるのか、それとも単に知性の中にのみあるのか」(2)「それらがそれ自体としてある場合、それらは物体的なものか、それとも非物体的なものか」(3)「それらは感覚的な対象とは離在的に存在するのか、それともそうした感覚的対象の中に、その一部として存在するのか」というもの。ポルフュリオスは、自分はさしあたりそれらについて判断しないと明言している。同書はアリストテレスの『カテゴリー論』への導入として書かれたものであり、ポルフュリオスはここで、同書の目的(σκοπός)がそうした形而上学にはないことを示しているように思われる。けれども同書は6世紀にボエティウスがラテン語に訳して以降、ポルフュリオスの意図とは別に、普遍をめぐる教説の参照元に押し上げられていく。クザンは、ボエティウスが上の3つの文言を最初のものに集約し、それが実定的に存在することを肯定していると見、しかもそれが類や種のみに限らず、差異や本性・偶有に対しても適用されていることを難点とし、ボエティウスがポルフュリオスを正しく理解していないと批判しているという。

クザンはその上で、ボエティウスに寄らない解釈を示していくというわけなのだが、そこでは『イサゴーゲー』が『カテゴリー論』の序文であり、その『カテゴリー論』が『命題論(解釈について)』の前段階をなしているという事実から、この一文が解釈されることになる。『命題論』の冒頭には、事物と魂における情感(概念)との区別が立てられている。ここから、『命題論』の解釈が『カテゴリー論』の目的の解釈(アカデメイア派に古来からその目的をめぐる議論があった)に、さらにはその『カテゴリー論』の目的の解釈が『イサゴーゲー』の解釈に、フィードバック的もしくは回顧的に投影されていくことになるのではないか……というのがリベラの見立てだ。クザンは上のポルフュリオスの三つの問いを微妙に言い換えているというのだが、すでにしてそこに、こうした回顧的投影の痕跡が見いだされる、ということもできるかもしれない。ポルフュリオスにとっては問題として定立されていなかった普遍についての問いが、こうして後から「投影」されることになる。「考古学」が分け入っていくべきなのは、そうした残照からの解釈の投影・応酬・照応関係そのもの、そうした構造そのものなのだ、ということになる。