証拠能力観の変遷

「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで夏読書という感じでジェームズ・フランクリン『「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで』(南條郁子訳、みすず書房、2018)を読み始めた。原書は2001年刊。数理的な意味での確率論の前史として、法学などで使われる蓋然性概念を追った力作。まだ総論的な最初の三章を見ただけだけれども、古代から中世、ルネサンスへと至る西欧の法体系・法理論の概略についてまとめられていて、個人的にはかなり惹かれるものがある。古代エジプト、メソポタミアのハンムラビ法典、ユダヤ教のタルムード、ローマ法、グレゴリウス改革とグラティアヌス法令集、そしてインノケンティウス3世の治世などなど……。同書でとくに問題とされているのが、今でいう証拠能力。古代の法から、証拠の強さといった概念は漠然と盛り込まれていたようなのだけれど、それが明確に問題として取り上げられる過程にはいくつかのメルクマールがあるらしい。

たとえばヘレニズム期のアレクサンドリアのフィロンは法の根拠を問題にしていて、2人証人則の合理性を論じたりしているという(p.15)。グレゴリウス改革期には、2人証人が完全な証拠であるなら1人証人は「半証拠」である、という考え方も出てくる(p. 36)。推定の強さをもとにした等級づけの発想も、グラティアヌス法令集の初期の段階で現れるのだという(p.39)。拷問に関しては大陸にはその習慣がなく、ローマ法の流れを汲んで、すでに有罪の証拠が強いとされる場合の補完として使われるべきだとされていたという(p.49)。拷問がそれなりに有用とされるのはルネサンス期以降の魔女裁判などでのことのようだが、それでも基本的に補完的手段であるのは変わらないようだ(p.87)。また大陸では証拠の等級は13世紀の『グレゴリウス9世教令集』などでさらに精緻化するものの、イングランドの法はそうした点でだいぶ遅れをとっていたともいう(pp.50-52)。……とまあ、最初の数章だけでもいろいろとメモすべき記述が満載。続く各章は諸学のテーマ別となるようで、そちらもまたメモしていくことにしよう。