外と内とハイブリッドと

前回取り上げたベルクマンの本では、第5章が「脳または新たな物神」という表題で、脳科学者たちが精神分析などの思弁的な教説を、科学的な言説でもって塗り替える、もしくは取り込もうとしていることを、改めて問題として掲げている。内的な作用をあえて比喩的・概念的に描きだすのか、それともひたすら外部から観察可能な事象のみで接近しようとするかの、ある意味根源的な対立関係にあって、一部には両者の微妙なハイブリッドも散見されるらしいことが、その議論から浮かび上がってくる(脳科学側にも、人文学側にも)。それは果たして価値ある議論になりうるのか、とそこでは批判的に問うている。

それにも関連するが、少し前に見た論集『イメージ学の現在』では、イメージ学の下位分野に神経イメージ学という分野の存在が示唆されていたほか、それと同時に、神経美学という分野にも触れられていた。両者の違いは、神経イメージ学が「知覚論を参照し、イメージ分析と知覚分析の弁証法からイメージ表象を読み解こうとする」のに対し、神経美学は「芸術作品をトリガーとして引き起こされる情動体験と脳活動の相関を主な研究トピックとする」(同書第5部序文、坂本泰宏、p.404)ものだという。神経美学のこれまでをざっと振り返る石津智大「神経美学の功績」(同書18章)でも、「神経美学は「脳の仕組み」を理解する学問であり、人文学の主張を肯定も否定もするものではない」(p.474)としている。最近出た入門書という位置づけの石津智大『神経美学: 美と芸術の脳科学 (共立スマートセレクション)』(共立出版、2019)でも、そのことは易しい語り口で丁寧に解説されている。なるほど、神経イメージ学と神経美学とは目指す方向性も違えば、アプローチもまったく異なることがわかる。では、なんらかのハイブリッドのようなものは出てきていないのだろうか、あるいはこれから出てくる兆しなどはないのだろうか、という点が少し気になってくる。
神経美学: 美と芸術の脳科学 (共立スマートセレクション)