「医療史・医療占星術」カテゴリーアーカイブ

謎だった人物

メルマガ(本日送信分)にもちょろっと記したけれど、しばらく前からアーバノのピエトロの『調停の書』(Conciliator)を断片的に読んでいて、割と頻出する名前の一つにHaly.というのがあって、人名らしいことはわかるのだけれど、何の略だろうとずっと思っていた。で、ついこの間のこと。先に取り上げたM.フランプトン『意志の具現化』の中世盛期の章を読んでいたら、ちゃんと出てきた。こういうのが見つかると、なんだか嬉しい(笑)。10世紀ごろのペルシアの自然学者で、ラテン名でハリ・アッバス(Haly Abbas)という人物。Alî ibn al-‘ Abbâs al-Madjûsîというのがもとの名前。ガレノス医学の概説書(『医療技術大全』または『王の書』)を残しているといい、これをコンスタンティヌス・アフリカヌス(11世紀)が部分的にラテン語に訳出したものが、サレルノ医学の基礎の一つとなった『パンテグニ』(Pantegni)なのだそうで。アラブ世界でもアヴィセンナの『医学典範』が出るまで、その『王の書』がスタンダードな医学教科書だったという。うん、サレルノやパドヴァの医学についてはもっといろいろ知りたいところ。

占星術反駁の歴史

念願の、金森修編『科学思想史』(勁草書房、2010)を眺め始める。……とはいっても、相変わらずあまり時間が取れないので、さしあたり個人的に最も関心のある第七章「中世における占星術批判の系譜」(山内志朗)にざっと目を通しただけ。大筋は、占星術の成立からアウグスティヌスによる批判、アラビア世界での勃興、トマス・アクィナスの批判、ニコル・オレームの批判を順次取り上げ、ポイントをまとめているという構成。アウグスティヌスやトマスの批判が、占星術の内的な整合性の批判ではなく、ある程度その術的立場を認めつつ、個人の命運などには適用できないという「外在的批判」なのに対して、オレームにいたってようやく内在的批判が一部見られるようになるというのが全体的な流れだ。これは占星術批判をめぐる総論のような感じ。

うん、13世紀ごろは確かに占星術はある程度受容されていたようで、メルマガのほうで取り上げたエギディウス・ロマヌスの『子宮内の人体形成について』(“Aegidii Romani Opera Omnia II.13 – De formatione humani corporis in utero”, ed. Romana Martorelli Vico, Sismel-Edizioni Galluzzo, 2008)などを見ても、星辰は魂には影響しないものの、自然に属する身体には何らかの傾向をもたらすという見解が、ほとんど通説であるかのように記されている。上の山内論文からも漠然と読み取れるけれど、トマスはもちろんオレームなどでもそうした影響関係は認められているような感じで、そうした身体面への星辰の影響というのは、中世の占星術批判からはこぼれ落ちているように思われる。で、個人的にもちょっと調べてみたいと思っている医療占星術などは、まさにそうした批判対象外の術的思想に立脚しているはず。それすら批判されるようになるようなことはなかったのか、あったとしたらいつごろ、どのようにして始まったのか、などなど、このあたりの興味は尽きない(笑)。

自然の鑑

この数日はほとんどとんぼ返りの帰省でいろいろと疲れる……。こういう時は、やはり本に没頭するに限るかも(苦笑)。暑気払いの意味も込めて、夏読書に取りかかろう。というわけで第一弾は、トゥーリオ・グレゴリーの論集『自然の鑑 – 中世思想探索』(Tulio Gregory, “Speculum naturale – percorsi del pensiero medievale”, Edizioni di storia e letteratura, 2007。まだとりあえず、「自然と惑星の性質」(Natura e ‘Qualitas Planetarum’)という一章を眺めただけだけれど、これがまた、なんとも魅力的。天空が地上世界に影響するという占星術的な考え方の伝播・拡がりを、12世紀から15世紀にかけてのスパンで描き出したもの。うーん、なかなか勉強になる。こういう長いスパンを取って個別の事象をめぐっていくというのはグレゴリーのスタイルなのかしら。個人的にはとりわけ、聖書のコスモロジーとアリストテレス自然学の摺り合わせは創世記よりも終末論に絡んで複雑になるという指摘に、突かれる思いがした。うーん、終末論絡みで自然学がどうなるかというあたりはスルーしてきたなあ、と改めて思う。で、そこでもまた、ペトルス・ロンバルドゥス『命題集』の四巻が重要らしい。で、ボナヴェントゥラ、ミドルタウンのリカルドゥス、トマス・アクィナスのそれへの注釈が簡単に紹介されている。そのうちチェックしておかなくては(笑)。

医学占星術2

ちょっと忙しくなってきたので、あまり読む時間が取れないものの、一昨日の『星辰・医学』から、ヒラリー・M・キャリー「中世ラテン占星術と生のサイクル」という論考を時間の合間にちらちらと眺める。端的なまとめで、結構勉強になる(笑)。インドなど東洋とは違って、西欧の中世は占星術もギリシア語、アラビア語からの翻訳を通じて学者世界に入ってきているために、伝統がそのまま(多少の曲解はあっても)温存された側面があるといい、医学占星術も偽ヒポクラテス文献や一部のガレノス系文献を通じて、一種のサブセットとして流入してきたのだという。大局的には占星術の側に医学的な要素が混じり込んでいる側面が強く、医学プロパーにおいては占星術の要素はそれほどウエートがないのだそうだ。なるほど。オリジナルテキストとして重要とされるのは、まずは偽ヒポクラテスの『医学占星術(Astrologia medicorum)』。英訳が複数存在するほか、ロジャー・ベーコンが勧めていたり、アーバノのピエトロ、チェコ・ダスコリなどが引用しているのだとか。黄道帯がらみではセビリアのイシドルス『語源録』。また当然ながらプトレマイオスの『テトラビブロス』。ちなみにこれのラテン語訳はカスティリアのアルフォンソ10世の宮廷で、テバルディスのエギディウスという人物が行っているという。そしてアルブマサル『大入門書(Introductorium maius)』。

医学占星術

イタリアのSISMELが出しているミクロログスライブラリから、『星辰・医学 – 占星術と医学の東西』(”Astro-Medicine – Astrology amd Medicine, East and West”, ed. Charles Burnett and al., Edizioni del Galluzzo, 2008)というのを取り寄せてみる。東西というだけあって、ヘブライやアラビアのほか、インド、チベットの仏教系の「医学占星術」までと、面白そうな論考が並んでいる。西欧はルネサンス以降かと思いきや、中世関連ものも。そんなわけで、まずはヴィヴィアン・ナットンという人の「ギリシアの医療占星術と医学の境界」という一編を読む。これ、基本的にはガレノスの占星術批判を丹念に見直すというもの。ルネサンス期に「再発見」されるまで、西洋では医学占星術は「忘れられ」ていて、人体に影響するのは星辰ではなくむしろ気象現象だというガレノス説が支持されていたということなのだけれど、ガレノス自身はそうした気象現象と星辰との依存関係などを認めていたりして、批判する側(ガレノスを継ぐ医師たち)も、巷でもてはやされていた占星術から案外そう遠い立ち位置ではなかった、という話だ。最後のところでは、ガレノス名義で13〜14世紀に流布したというラテン語訳の『種子について』という文書が取り上げられ(校注がまだ完全には行われていないものらしい)、それについての諸説(実は二冊の別々の書ではないかとか、いろいろ)がまとめられている。うーん、その「再発見前」の医学占星術がいよいよもって気になってくる……。