「生命、自然、コスモロジー」カテゴリーアーカイブ

ピロポノス「世界の永続について」

夏くらいからちびちびと読んでいた3巻本のピロポノス『世界の始まりについて』は少し前に読了。創世記の註解として、新プラトン主義などいろいろな要素が織り込まれていてとても興味深いものだった。で、引き続き今度は今年Brepolsから出た、同じくピロポノスの『世界の永続について』(“De Aeternitate Mundi – über die Ewigkeit der Welt”, I & II, Clemens Scholten (übersetzen), Brepols, 2009を読み始める。こちらは2巻本で、上のとは違い、1巻が解説(というか論考ですね)、2巻が希独対訳になっている。というわけで両巻並行で読み進めることになる(笑)。『世界の始まりについて』のほうは哲学からの神学「転向」(というか断絶?)後の作品とされるのに対し、『世界の永続について』はその「転向」直前の作品らしい。このタイトル、実は略さずには「プロクロスによる世界の永続についての議論に対するアレクサンドロスのヨアンネス・ピロポノスの書」となっていて(クレメンス・ショルトンの解説によれば、これも後世に付けられたものらしいのだけれど)、「反プロクロス論」みたいに呼ばれることもあるという。実際、世界の永続についての反論はもう一つ、反アリストテレス論もあるらしい。いずれにしても、プロクロスによる世界の永続の擁護論(アッティコスなど、その先達たちのプラトン主義からすると逸脱とされるが……)は反キリスト教の議論として一種の標準となるものだったようだ。で、キリスト教を奉じるピロポノスがそれに反論を加えたというのが同書。まだほんの出だしだけれど、すでに「コスモスが仮に無限だったとして、コスモス内に有限の存在が複数生じるのは論理的におかしい」みたいな議論が執拗に繰り出されたりしている。うーむ、これはなかなか面白そう。ピロポノスの議論に対するシンプリキオスの反論もあるといい、このあたりの論争もまた興味深い。

「占星術師」たちの合理主義

また少し間が開いたけれど、ヴェスコヴィニ『魔術的中世』もいよいよ終盤。後半はひたすら占星術関連の話が展開している。プトレマイオスから始まり、イスラム最大の占星術師ことアルブマサル(アブー・マアシャル)、さらに12世紀にその著書がラテン語に翻訳されて西欧に伝わり、後のアーバノのピエトロなどが登場する、といった全体的な流れだけれど、これらの主要人物たちがいずれもある種の合理主義的でもって、占星術というものを構築もしくは解釈していることが強調されている。これが同書の後半を貫く基本姿勢になっている。そもそものプトレマイオスからして、占星術は天文学の中に位置づけられる経験則的な自然の学であるというスタンスを保っていたし、アブマサルはイスラム信仰、新プラトン主義、ストア派、アリストテレスの教義など諸要素を借りて、それをコスモロジー的に統合し、普遍・一般的な学としての占星術を練り上げた、とされる。それが魔術的な要素と混同されるのは後世の人々の誤解によるもの、というわけだ(西欧では、セビリアのイシドルスやサン=ヴィクトルのフーゴーなどからすでにして、占星術の実践的側面が貶められていたとのこと)。

アーバノのピエトロもまた、そういう文脈にあって、占星術を魔術から切り離そうとした人物として描かれている。ピエトロにとっての占星術は理論と実践を繋ぐ学としてあり、同じく手作業の学として蔑まれていた医学も同様の学として弁護されているという。魔術的要素が結びついてしまうのは想像力のせいであり、本来はそのようなものではない、というわけだ。ピエトロが「魔術師」みたいに言われるのは後世(16、17世紀)ごろの誤解にもとづくイメージのせいで、実像は違うというのがヴィスコヴィニの立場。ま、今ところその点について判断材料を持ち合わせていないのだけれど、そういえば以前読んだオリヴィエリ『アーバノのピエトロとネオラテン思想』なんてのも、アリストテレス解釈者としてのピエトロに焦点を当てたものだったっけ。

とりわけ16、17世紀に盛んになるという医学占星術については、以前から少しばかり興味を抱いていた。おおもとはプトレマイオスの『テトラビブロス』だけれど、その後の古代末期とか中世での展開というのがよく見えてこないなあ、と、これもピエトロが一つの結節点をなしているのは間違いないようで、少しちゃんと読んでみたいと思っているところ。サレルモの伝統の次はパドヴァの伝統が重要になる、ということかしらね。実は少し前に、ピエトロの医学書『哲学者と医者の間に生じた論争の調停の書』(“Conciliator differentiarum quae inter philosophos et medicos versantur”)(略して”Conciliator”)の1565年版のリプリント版を入手したので、来年はこれを少しづつ読んでいきたいと思っている。

マイモニデスのコスモゴニー

ケネス・シースキンという人の『マイモニデスによる世界の起源』(Kenneth Seeskinm, “Maimonides on the Origin of the World”, Cambridge, 2005を読み始める。マイモニデスのコスモロジー系の話なのだけれど、基本的には概説書という感じ。長さも200ページちょいだし。 創造神、『ティマイオス』、アリストテレスの世界の永続性、プロティノスなど、創成神話の諸テーマをめぐりながら、マイモニデスのスタンスをそれらとつき合わせて確認・整理するというもので、マイモニデスの合理主義的な立場がいかにそれらのテーマを批判しているかに重点が置かれているように思える。うーむ、正面切ってのマイモニデスのコスモゴニー思想を論じるというのを期待していたので、少し違う感じも(苦笑)。とはいうものの、全体的な整理としてはなかなか有益かもしれないなあ、と気を取り直してもう少し読み進めようかと思っているところ。

それにしてもマイモニデスは欧米では哲学史のごく薄い概説書にすら名前が出るほどメジャーだったりし、時にちょっと意外な感じを受けることもある。そういえば少し前に読んだマニュエル『ニュートンの宗教』でも、ニュートンの宗教論的ベースの一つにマイモニデスの合理主義があるとされていた。カバラやグノーシス、果てはプラトン主義へと批判の矛先を向けるニュートンにあっては、とりわけ流出論などがやり玉に挙がるのだけれど、その際の議論は、初期教父のほかマイモニデスなどの考え方を踏襲しているのだという。その文脈でも同じくマイモニデスの「合理主義」が強調されていたけれど、うーむ、このあたりはどうなのか。個人的には、マイモニデスの個々の議論などからはもっと違う側面も感じられるような気がして、一概に「合理主義」と言われてしまうと、どこか違和感をが感じられてくるのだけれど……?

エメラルド碑文

魔術関連シリーズというわけでもないのだけれど(笑)、ヘルメスの伝承のうちで名の知れたエメラルド碑文(エメラルド・タブレット)の様々な版を集めて仏訳した本が出ているのを最近知った(“La Table d’Émeraude”, préf. Didier Kahn, Les Belles Lettres, 2008)。エメラルド碑文というのは、1世紀の新ピュタゴラス派の哲学者・魔術師、テュアナのアポロニオス(アラブ世界ではバリヌス)に帰されるという『創造の秘密の書』の巻末に収められた短いテキスト。そのアポロニオスがヘルメス・トリスメギストスの墓で見つけた碑文とされる。ディディエ・カーンの序文によれば、『創造の秘密の書』は6世紀ごろのアラビア語訳という形で伝わっていて、ギリシア語の原典は失われているという。また、別のバージョンのエメラルド碑文が、偽アリストテレスの『秘中の秘』(8世紀)にも収録されているという。で、この両方の碑文がアラビア語ともども上の仏訳書に収められている。

『創造の秘密の書』は12世紀前半のラテン語訳(サンタラのフーゴ)のほか、別のラテン語訳もあり、この後者は西欧で最も普及したホルトゥラヌスの注釈つきのラテン語版(14世紀)に近いものなのだとか。『秘中の秘』は13世紀中頃の訳があり、ロジャー・ベーコンが注釈を付けている。上の仏訳本は残念ながら、それらは仏訳のみを収録している。さらに15世紀、16世紀の韻文での仏訳版、『ヘルメスの七章(黄金の章)』(16世紀の編纂)、『クラテスの書』(9から10世紀)が収録されている。うーむ、やはりラテン語版テキストがあるものはそれも合わせて収録してほしかったなあ。

ギヨームとスコット

このところあまり時間が取れなくてちょっと進んでいないけれど、引き続き『魔術的中世』の2章、3章に目を通す。それぞれ、オーベルニュのギヨームとマイケル・スコットを扱った章。ギヨームはアウグスティヌス主義の嚆矢みたいに言われることもある人物だけれど、いわゆる黒魔術ではない「自然」魔術の理論の発展にも貢献したのだという。自然魔術って、要はアリストテレスに準拠した医術・占星術的なものを言うらしい。アーバノのピエトロの先駆みたいな感じ。アウグスティヌス主義的との関連では、「悪魔=堕天使」の考え方の根拠が、基本的にアウグスティヌスの反マニ教的に書かれた『善について』などの、被造物はすべて本来善として創られた後に悪へと逸脱するという議論にあるという話などが興味深いところ。

一方のマイケル・スコットは、シチリアのフリードリヒ2世の宮廷で翻訳に従事したことで知られている人物。他方では占星術師としても活躍したとされる。まずは13世紀以降にvetula medica(古医術)が悪しき術へと価値の低下を被る社会的文脈と絡めてスコットの登場を描いている。アヴェロエスやアリストテレスの翻訳が多数あるとされているけれど、アルベルトゥス・マグヌスが、マイケル・スコットは自然も理解していないし、アリストテレスの著作も分かっていない、みたいに批判しているという話が興味深い(笑)。スコットの関心領域はむしろプラトン主義だったらしく、フリードリヒ2世の用意した諸説混淆の環境(アラブ世界やユダヤ教も含めて)を反映するものであったらしい。スコットはその中で、観想的ではない作用的(operativa)な哲学を理想としていたらしく、それがアラビア的な「魔術」だったというわけか。スコットの考える魔術は、作用すなわち事物の変形・変質を指向する点で『ピカトリクス』との共通性もあるそうだが、流出ではなく神の創造を重んじる点、また黒魔術を知の総合的な術としてではなく限定的に扱っている点などが異なっているという。