「通史の風景」カテゴリーアーカイブ

12、13世紀の占星術史概観

ジャン=パトリス・ブーデ『科学と魔術の間:西欧中世(12〜15世紀)の占星術・予言・魔術』(Jean-Patrice Boude, Entre science et nigromance : Astrologie, divination et magie dans l’Occident médiéval (XIIe-Xve siècle), Publications de la Sorbonne, 2006)を読み始める。研究指導資格論文がベースだという大部の一冊。全体としては前半が12世紀から13世紀、後半が14世紀から15世紀で、占星術・予言・魔術の変遷をそれぞれ描いていくという感じかしら。とりあえず序章と一章を見ただけだけれど、とてもよく整理されていて合点がいく。というわけでこれも簡単にメモやまとめを記しながら読んでいくことにしよう。

序章ではダンテの『神曲』から、占い師たちが責め苦にあっている場面から説き起こす。占い・魔術の類の糾弾はたとえばセビリャのイシドルスあたりから長い伝統を形作ってはいたものの、一方で広義の占い師たちは社会的にそれなりの位置を占めていたわけだし、実際ダンテみずからも天文学・占星術的な概念的枠組みの中で詩作をしていたという事実もあり、実情はそう単純ではない……。ところが従来の研究に欠けているのは社会的な側面であり、それをも取り込んだ複眼的な視座こそが重要になる……と。

第一章では、古い占星術から「新たな」占星術への移行が主題となる。前者は11世紀ごろまでの、ギリシアからの伝統を受け継いだ比較的単純な占星術で、とりわけ医療占星術として広まっていたもの。月の運行をベースに、秘数術(アルファベット文字それぞれに恣意的な数字が割り当てられている)と簡単な計算で患者の状態を占うというものだった。ところが12世紀ごろからアラビア語文献の翻訳を通じて、より複雑で洗練された、チャートを作るタイプの占星術が拡がっていく。チャートのうち最も人気を博したのがトレドのチャートで、セビリャのヨハネス(ヨハネス・ヒスパニエンシス)とクレモナのジェラルドに帰されているのが特に有名なのだとか。マルセイユのレイモン『天体の運行の書(Liber cursuum planetarum)』がそうしたトレドのチャートを伝えているという。12世紀にはすでに翻訳ものだけでなくオリジナルの書も出てくるようになり、後にサクロボスコのヨハネス(13世紀)『天球について(『De sphera』)などの「ベストセラー」も登場する。

本文はこのあと、ホロスコープ占星術の基本についての話が、セビリャのヨハネス訳によるアルカビティウス『入門の書』の内容をもとにまとめてあり、さらにマルセイユのレイモンによる占星術擁護の議論、ホロスコープ占星術の実例などが続く。チャートを用いる占星術は、扱う要素が多様になるため、術師の自由裁量の幅が意外に大きいのだそうな。また、現存する中世のホロスコープが少ないのは、難しいせいで一部の知識人しか扱えなかったためだろうという。なるほどね。確かに複雑とうか面倒そうだ(苦笑)。13世紀ごろの革新で最も顕著なのは医療占星術で、グイエルムス・アングリクス『見えない尿について(De urina non visa)』のように尿検査を占星術的に扱った著作のほか、メルベケのギヨームやアーバノのピエトロなどによる偽ヒポクラテス『天文学(Astronomia)』の各種ラテン語訳などが出ているという。

教会による婚礼制度化の過程

教会がもたらしたであろう様々な制度化と思想史との関連は、見えそうでいて案外見えてこない検証領域な気がする。というわけで、婚礼の制度化に関する論文を眺めてみる。スーザン・バイヤーズ「聖化された性:教会規則の家族的支援は、いかに婚礼の儀式を宗教的儀式に変えたか」(Suzanne Byers, Sanctified Sex: How Familial Support of the Rule of the Church Turned the Marriage Ceremony into a Religious Rite, University of Colorado, 2008)というもの。婚礼の規制が教会権力の支配下に収まる過程をなしたのが12世紀から13世紀にかけて。宗教的シンボリズムを婚礼の儀式に注ぎ入れ、正式とされない婚礼を結んだ者を破門にするなどして、教会は伝統的な家族の慣習を宗教儀礼に変化させることに成功した、と。それは12世紀末、イノケンティウス三世がフィリップ二世オーギュストの離婚を認めなかったことに象徴される教会権力の増大にまでいたる。クレティアン・ド・トロワなどの文学作品に見られる理想の結婚像から、神学義論での性交渉や婚礼の扱い、説教史料の研究など数々の先行研究の議論など、取り上げている話題は多岐にわたっている。けれども、だからといって教会が婚礼をどう制度化していったかについては、やはりさほど見通しが立った感じにならないところが悩ましい(笑)。

これにも関連するが、もう一つ、ジョン・F・デデック「婚前交渉:ペトルス・ロンバルドゥスからサン=プルサンのデュランまで」(John F. Dedek, Premarital Sex: The Theological Argument from Peter Lombard to Durand, Theological Studies, vol.41, no.4, 1980)(PDFはこちら)という論文も見てみた。ちょっとキワもの的なタイトルだけれど、中身はなかなかしっかりしていて、1152年から1327年までの実に44人の神学者たちの「姦淫罪」をめぐる神学的議論(なぜそれが罪とされるかという問題)を簡潔にまとめあげた一種の労作(?)。それによると、トマス以前の論者たち(ペトルス・ロンバルドゥスやトゥルネーのシモン、パリのギヨーム、ヘイルズのアレクサンダー、クレモナのロラン、アルベルトゥス・マグヌスなどなど)はみな、若干の例外を除いて(オーセールのギヨーム、尚書院長フィリップ、サン=シェールのユーグ、ボナヴェントゥラなど)十戒の一つに姦淫の戒めを引き合いに出しているだけで、姦淫がその実定法のみならず自然法に抵触するという本格的な議論はしていないという。子どもの誕生と教育という観点で姦淫が自然法に抵触する(bonum prolisという議論)と本格的に論じるのは、トマス・アクィナスになってからで(実はその前に逸名著者がいるらしいけれど)、以後、その弟子筋や周辺の論者(ハニバルドゥスのハニバルド、タレンテーズのピエール、ストラスブールのユーグ・リプラン、ミドルトンのリチャード、ドゥンス・スコトゥス、ラ・パリュのピエール、ジョン・ベイコントロープ、シュテルガッセンのヨハネス、サン=プルサンのデュラン)は多少簡略化した形であれ、あるいはいくぶんの温度差はあれ、そのbonum prolisの議論を引き継いでいくという。うん、なかなか面白い配置。でもこれって、トマス中心史観?(笑)

↓wikipedia(de)から、インノケンティウス3世(サクロ・スペッコ修道院、13世紀のフレスコ画)

今道中世哲学本から – アウグスティヌス

今道本でのアウグスティヌスへのアプローチは、まずは自由意志と恩寵とのアポリア問題から始まっている。エゼキエル書の一節にある「新しき魂をさずける」「新しい魂を起こせ」という文言の相反性が突きつける問題だ。予定説か選択かという問いが想起されるけれども(これがヘブライ語の完了・未完了の転換に重なるというアガンベン的な考え方にも惹かれるものがあるのだが)、著者はこれをアウグスティヌスは「恩寵の側からの自由意志の包摂」によって解こうとしていると見る。なるほど、すると超越者は「包越者」となり、存在の類似(著者が言うように、これは繋辞と存在指示動詞が言語上同一の形だという事情が背景にある)を断ち切って絶対的な差異性を担保することになる。超越者はあくまで外部から来るのであって、はじめから内なるものとしてあるのではない、と……。

この後、超越者への接近(「考迫」という言葉が使われている)としての「解釈」をめぐる考察が展開する。『告白』の最後の三巻はそれに先立つ巻と断絶しているといった議論があるけれども、著者は認識論的な問いから見返すなら、そんなことは妄言にすぎないと喝破する。著者によれば、視覚傾斜から脱して「祈り」(超越に向けた意識の方向性を措定する営為?)に向かい、さらい視覚によらない新しい思考法としての「解釈」(自己の認識的浄化の途?)に繋げるという意味で、それは一貫したプログラムなのだという。『告白』の末尾では聖書の記述を振り返るわけだけれど、視覚を脱したロゴスへの接近・肉迫というプログラムにおいては、その言語の典型としての聖書が解釈されるのはごく当然だというわけだ。うーむ、これは深い議論だ。個人的には、その前段階として扱われている「祈り」の現象論的な掘り下げも可能ではという気もする……。

今道中世哲学本から – ニュッサのグレゴリオス

これもまた今年上半期の一大収穫と思われる、今道友信『中世の哲学』(岩波書店、2010)をついに読み始める。まだほんの冒頭を眺めただけれだけれど、すでにしてこれはもの凄い。なんというか、まるで遺書のような静かな迫力に満ちている。文章の醸す緊張感というものを久しぶりに味わう思いがする。マレンボン本があくまで哲学史的な文脈にとどまりながら見識の転換を狙うのとは対照的に、これは哲学史を哲学的思索へと開き直すという、まさに王道を求道する論考という印象。中世哲学の通史をもとに「歴史研究から体系的課題を喚起すること」、つまり現代や未来への思索の推進力を歴史から汲み上げること。まさに圧巻。

同書は教父学から論を始めている。まず主に取り上げられるのはニュッサのグレゴリオスとアウグスティヌス。そこに様々な同時代、あるいは後世の思想家たちが随時言及される。ニュッサのグレゴリオスからという構成自体がすでにして異彩を放っている(でも確かにグレゴリオスは、人間の行為の自由に関して早くから問題にしている人物とされていたのだっけ)けれど、この今道本では、グレゴリオスの「徳の内面化」や「謙遜」などの概念が、ヘレニズム時代にはほどんど考えられることのなかった徳目として重視されていることを指摘し、教父時代がヘレニズム時代とはまた違う、一つの分節として重要であることを強調している。その上で、同じくヘレニズム時代とは違う概念として「勇敢」を取り上げ、それが「パレーシア」(神に語り掛けること)に結びついていることを説いている。そしてまた、自由との関連で取り上げられる「存在論的な力」としてのプロアイレシス(選択)の、豊穣な意味の拡がりが開陳される……。

マレンボン本

先に復刊されたJ.マレンボン『初期中世の哲学』(中村治訳、勁草書房)にざっと目を通す。原書は1988年刊。全体的には概説書なのだけれど、序文を見るに、中世初期が後の時代の前哨的な一時期と見なされ、ごく少数の思想家以外は闇に葬られていることに対して、実はその時期が哲学史の実り豊かな一時期でもあったということを示そうとして書かれたもの、とされている。確かにあまり聞かない思想家の名もちらほらと出てくる。とはいえ、基本的にはメジャー(中世思想史的に)になっている少数の思想家(ボエティウスとかエリウゲナとかアンセルムスとか)を中心に章立てがなされていて、どこかちぐはぐな印象を抱かせもする。概説書という意味で全体的な流れを概観させようとすると、「豊か」だとされる時代のあまり著名でない思想家の扱いは結構簡素化されてしまい、同書が意図している一般通念的見識への戦いという側面は殺がれてしまう……ということか?うーむ、これは難しい考えどころ。本を書くのは実はとても難しい、ということを感じさせる書というのがたまにあるけれど、これはそういう一冊かもしれない。冒頭の第二版への序で、著者自身が、「主題をひどく不正確に述べた節」があったことを明らかにしているあたりも、こういうアポリアというか逡巡というかを物語っている気がする……。