プロティノスのディアレクティケー論 – 3

Traite 20 Qu'est-ce Que La Dialectique? (Bibliotheque Des Textes Philosophiques)ジャン=バティスト・グリナによるプロティノス『第20論文』の註解から、さらに続き。知的な美へと高まるための候補として、音楽(愛好)家、恋する者、哲学者の三者が挙げられていたわけだけれども、重要な点として、それら三者は並列関係にあるのではなく、それら自体が一種の階層構造をなしているということが挙げられる。下層から順に音楽家、恋する者、哲学者ということになる。グリナの註解は次に、この三者それぞれの性質(性分・性向)と、それぞれに与えられるべき教育についてコメントしている。たとえば音楽家は、聴覚の美、音の調和に鋭い感性をもっているとされるわけだが、より上位の観念的な美へと達するためには、感覚的なものを廃して知的な美を享受するのではなくてはならない。そのために推奨されるのが、数学を学ぶことだとされる。

この構図は基本的に、恋する者についても同じで、感覚的・肉体的なものからの離脱が説かれる。その上位という位置付けの哲学者はというと、すでにそうした感覚的なものの捨象を性分として会得しているとされるが、そこでもまた、前二者とは多少とも意味合いが異なるものの、最終的には数学を学ぶことが重要だとされる。そのあたりについてのプロティノスのテキストには、プラトンの『国家』などからの引用が散りばめられている。ディアレクティケーと「善のイデア」の認識を準備する学知の全体は、数学による準備段階で構成されるとされ、その数学は算術・計算法、幾何学、立体図法、天文学・調和の学から成るとされる(『国家』第七巻、522b-531d)。プロティノスが学知の説明で使う用語が、もとのプラトンの用語法と若干異なる部分があるとして、グリナはそのあたりを細かく見ていくのだけれど、ここでは割愛。ただ、とくに重要と思われるのは、数についての存在論的な違い。プロティノスは数を原初の存在と諸存在との中間物と位置付けている(流出論的に)が、数学の役割を知への慣れ(順応)をもたらすこととしていて、両者の間で多少とも齟齬が生じているという。一方のプラトンは、ディアレクティケーを準備するという数学の役割は、感覚的なものと形相との中間にあるとする数の存在論的な地位から、問題なく派生するとされる。このもとのプラトンの考え方は、アルキノオスを始めとする中期プラトン主義にも継承されていた……。

数学はディアレクティケーの前段階(προπαιδέια)をなし、ディアレクティケーこそが、「原理的で仮定的でない第一現実に到達」できるとされる(アルキノオス)。それは「存在についての観想」だが、数学を経ていなければ不可能だと見なされているという。グリナの指摘によると、プロティノスの数学観がそれら先達と異なっているのは、数学の中に音楽が含められていないこと、そして数学の教育的な重要性が、真理会得へと至るプロセスの一時期に限定されていることにある……。かくして、数学に続きいよいよ、哲学のディクールとしてのディアレクティケーそのものに関する議論がなされることとなる。

プロクロス『パルメニデス注解』第五巻から

Proclus, Commentaire Sur Le Parmenide De Platon. Tome V: Livre V (Collection Des Universites De France Serie Grecque)これまた間が空いてしまったが、プロクロスの『パルメニデス注解』第五巻(最終巻)(Proclus, Commentaire sur le Parménide de Platon. Tome V: Livre V (Collection des Universités de France, Serie grecque), édé, C. Luna et A.-P. Segonds, Les Belles Lettres, 2014)にざっと眼を通した。もとの『パルメニデス』がそうであるように、これはイデアの認識へと高まるための方法論を論じた部分。ちょうどプロティノスのディアレクティケー論を見ているところだけに、その密接な関連性などが如実に感じられて実に興味深い。とくにその最初の部分には、多が一者に由来するという考え方や、形相がなければ事物の論拠もなくなり、すると現実を知る拠り所となるディアレクティケーの方法もなくなるといった、メルマガのほうで読み始めているクザーヌスに繋がっていくような文言も見いだせる。ここでのディアレクティケーは、プロティノスのものとは異なり、アリストテレスの論理学的な「弁証法」を取り込んだ一種の折衷案的なものとして描かれているように思われる。プロクロスはこう記す。「ディアレクティケーは、みずからも端的な直観(ἐπιβολὴ)を用いて、第一のもの(形相)を観想し、また定義・分割する際にはその像を見る」(V 986,21 – 26)。原理を思い描き、その像をもとに事物の定義を果たすのが、ディアレクティケーだというわけだ。

原理への遡りがプロティノス的なディアレクティケーだとすれば、これは類似のアプローチをとるアリストテレス的・論理学的なアプローチとしてのディアレクティケーということになる。その少し先には、「論理学的な方法(試す、産み出す、議論する、定義する、論証する、分割する、統合する、分析する)は、心的な像に適合する」(V 987, 25 – 28)とある。この後もディアレクティケーの働きの話が続く。プロティノスの場合と同様に、プロクロスはパルメニデスの教育方法を、選抜された若者に対するものとして、いわばエリート主義的に解釈している。また、教育法はそのままディアレクティケーの実践と重なり、具体的な論理学的命題の数々(肯定・否定にもとづく分割・分岐による24通りの様式)が示される。第五巻の要所をなしているのはまさにこのあたり。その後は、註解元のテキストにおけるソクラテスの逡巡を受けて、ディアレクティケーの力、高みへと至るその方途が再度論じられ、ディアレクティケーのプロティノス的な面が再度強調されていく。

「考古学」というアプローチ – 2

L'archeologie Philosophique (Bibliotheque D'histoire De La Philosophie)アラン・ド・リベラの『哲学の考古学』(L’archéologie philosophique (Bibliothèque d’histoire de la Philosophie))から続き。メモとして主要な流れを抜き出しておく。第3回講義の後半から第5回までは、ポルフュリオスの掲げた「問題」がいかに後代において普遍論争としてまとめられていくかを、多様な面から検討している。まず重要なのが、アレクサンドリア学派の最後の大物だったアンモニオス(6世紀:シンプリキオスの師匠)による折衷主義。彼はプラトン主義とアリストテレス主義との混成を目し、ポルフュリオスが触れようとしなかった哲学的・神学的問題にあえて踏み込んでいき、個物に対する普遍の在り方でもって「普遍」に三つの様態を区別する。「複数化前の普遍」「複数化における普遍」「複数化後の普遍」というもので、要するにそれぞれ、個別化していない絶対的な普遍としてのイデア、個別化した普遍としての形相、そして個物を認識する際の抽象化された概念を指す。この三分割はその後長く継承されていくことになる。

アレクサンドリアで活動していたアンモニオスの助手には、キリスト教徒だったヨアンネス・フィロポノスもいて、この人物がアンモニオスの講義内容の流通に力を貸している。三分割モデルはキリスト教化されたモデルとして、即座にシリアのキリスト教徒たちに取り込まれていったらしい。当然以後は、その三分割モデルが回顧的に、おおもとのポルフュリオスの「問題」に投影されることになる。7、8世紀の人物と目されるアルメニアのダビドによる註解から始まり、12世紀のニカイアのエウストラティオス、アヴィセンナ、さらにはアルベルトゥス・マグヌスなど、三分割モデルを継承した人々は多数いた。この三分割には、やがて「言葉」「概念」「事物」の三分割が(中世において)、さらにはプラトン主義、アリストテレス主義、ストア派の三つ巴の対立関係が(より後世の思想史において)投射されるようになる。リベラはそのあたりを丹念に追っていく。ポルフュリオスの掲げた問題そのものは、情報の劣化(間接的に言及されるだけになるなど)を伴いつつ継承されていくものの、その情報劣化のせいで、より大胆な解釈・刷新も可能になっていく(これは伝達作用の基本事項かもしれない)。

ストア派が引き合いに出されるようになる背景には、とりわけ悪の問題、すなわち偽のヒュポスタシス(位格)の問題があった。存在する事物には位格が備わっているとされるわけだけれど、問題なのはそれを伴わない、あるいは位格をもつ別のものに依存するしかない悪しき存在だ。この問題系は、プロクロスの失われた文書で言及されているのだという。メルベケによるそのラテン語訳が現存するといい、これを最初に訳出・刊行したのも例のヴィクトール・クザン(19世紀)だった。いずれにしてもこの存在論的なテーマは、「類や種は存在するのか、それとも純粋な概念でしかないのか、言い換えるなら、真の存在なのか空虚な概念なのか」というポルフュリオスのもとの問題に、容易に結びつく。で、それを普遍論争に重ね合わせていく嚆矢の一人に、ほかならぬクザンがいた、というわけだ。

リベラによると、普遍論争に関しても、実在論・唯名論のほかに、第三の項として概念論を加えて三分割とする考え方が近代に登場する。それはたとえば19世紀初頭の哲学者・博愛主義者、ジョゼフ=マリー・ジェランドなどに見られ、しかもそこでは概念論がストア派に結びつけられているという。ジェランドも唯名論を三種類に分割していて、ロスリン(アベラールの師匠)の極端な唯名論、アベラールの穏健な唯名論、ストア派のゼノンに見られる概念論(個体と心的操作を認める立場)を区別していた。ジェランドのこの三分割は、ドイツのヤーコプ・ブルッカーなどを経由したものだということだが、当然ながら上で触れた、はるか昔のアンモニオスの三分割の残響をなしている。また、ブルッカーは普遍論争の遠縁をなすギリシア哲学の学派として、プラトン、アリストテレス、ゼノンのそれぞれの派を挙げているという。ゼノンと概念論とがこうして結びつくのと同様に、アリストテレスと唯名論とが結びつくことになるわけだけれど、これには上のヴィクトール・クザンが絡んでいるという。民族主義的見地からフランス哲学史を価値付けようとしていたクザンは、12世紀のアベラールによるアリストテレス主義を見いだした。唯名・実在の二項対立に代えて、そのアリストテレス主義を含む三項対立としたことで、哲学史におけるフランスの存在感はいや増す結果になった。クザンは実際、アベラールをスコラ哲学の創始者、そしてデカルトをその終焉者として描き出している……。

ジェランドの重要なソースとなっている人物は、ブルッカーのほか、スコットランドの哲学者ダガルド・スチュワート(17世紀)もいるという話で、この後の講義では、リベラはそちらについて検討していくようだ。

中国思想の性善説・性悪説

悪の哲学―中国哲学の想像力 (筑摩選書)思うところあって、中島隆博『悪の哲学―中国哲学の想像力 (筑摩選書)』(筑摩書房、2012)を読んでみた。個人の内面にではなく、外部の社会的なものにつきまという「悪」の問題をテーマに、古代中国からの哲学思想を振り返るというもの。小著ながら実に面白く読むことができた。思想史的には、悪を内面の問題に帰着させるようになったのは12世紀の朱子学、15世紀の陽明学においてなのだといい、両者はともに性善説に立脚している。それ以前のはるか古代においては、たとえば自然災害などの災禍などをめぐる解釈として、「天人相関」の考え方(2世紀ごろから)があったものの、その解釈も一枚岩ではなく、徐々に天と人との間に関係はないという切断の思想が導かれていく(8、9世紀ごろから)。こうして人が天から切り離されたものというふうになっていくと、人の性(本来の性質)が改めて問題になる。性善説を唱えた孟子はそうした文脈の上にあったようだけれど、一方で孟子は地上に悪があるということを認めてもいたという。

そうした中での性善説はどういうことを主張しているのか。著者によるとそれは、仁や義は対他関係において発揮される徳(自己の内的完成ではなく)だからこそ幸福をもたらすというもので、超越的次元も内面も設定することなく、悪の存在を前提として、その上にあえて対他関係での善を実現しようという思想なのだという。善はしたがって、だまっていれば実現されるようなものではなく、目前の他者への惻隠の情を不在の他者にまで及ぼすような想像力の拡張を通じ、不断になされる作為的な努力が必要だとされる。内在的な善への傾向性は、努力によって実現に至らしめなければならないのだ、というわけだ。そしてそのための方途として儒家思想の「礼」が見いだされる、と。

この孟子の思想は、はるか後代(18世紀)に朱子学への批判の文脈で再浮上する。と同時に、孟子思想の先鋭化としての荀子(そちらは性悪説に立つ)もまたクローズアップされる。荀子の性悪説はどんなものだったか。儒家の「礼」概念を否定し自己充足の徹底化(非倫理)を図ろうとする荘子に、それはとくに対立していたといい、放置するならば壊れていくしかない人の性を、なんらかの調整作用によってマイナーリペアしていくというものだったらしい。そのために、社会的な規範としての礼の作為が必要であるとされる、というのだ。こうしてみると、孟子の性善説も荀子の性悪説も、一般に性善説・性悪説が引き合いに出されるときの意味合いと、だいぶ趣が異なることがわかる。同書は震災・フクシマ後に書かれたものということで、個人の内面に依らない社会的悪への対処を考えるというスタンスに貫かれており、アクチャルな事象を背後に見据えながら哲学史について語るという思想史家的実践としても高く評価できるように思われる。古代中国思想もなかなか興味深い、と改めて思う。

「考古学」というアプローチ – 1

L'archeologie Philosophique (Bibliotheque D'histoire De La Philosophie)アラン・ド・リベラの講義録の第二弾が出ていたので、早速ゲットし見始める。『哲学の考古学』(Alain de Libera, L’archéologie philosophique (Bibliothèque d’histoire de la Philosophie), Vrin, 2016)というもの。2013年から14年にかけてのコレージュ・ド・フランスの講義録で、先の講義録を補完する内容のようだ。リベラは自分が使う「考古学」というアプローチを吟味し直すところから始めている。10回の講義のうち、まだ冒頭の3回分をざっと見ただけだが、フーコーが取り組んだ知の「考古学」概念について、ここではさらなる精緻化を試みようとしているかのよう。そこで問題とされるのは、もはや単なる「ディスクール」ではなく、ロビン・ジョージ・コリングウッド(20世紀前半の英国人哲学者)を引き合いに、哲学史の領域は「疑問と応答(応酬)の複合体」(CQR : complexes of questions and answers)から成るという考え方のもと、そうした疑問と回答の相互のやり取り・ネットワークとして哲学史が再考される。その事例として、リベラはここで例のヴィクトール・クザンによる普遍論争の紹介を取り上げている。ポルフュリオスの問いかけが普遍問題として見いだされる過程にメスを入れようというわけだ。

ポルフュリオスの『イサゴーゲー』は冒頭で、イデアはあるかないかと問うている。実際には少し長い文(段落)であり、そこで示される問題というのは、(1)「類や種がそれ自体としてあるのか、それとも単に知性の中にのみあるのか」(2)「それらがそれ自体としてある場合、それらは物体的なものか、それとも非物体的なものか」(3)「それらは感覚的な対象とは離在的に存在するのか、それともそうした感覚的対象の中に、その一部として存在するのか」というもの。ポルフュリオスは、自分はさしあたりそれらについて判断しないと明言している。同書はアリストテレスの『カテゴリー論』への導入として書かれたものであり、ポルフュリオスはここで、同書の目的(σκοπός)がそうした形而上学にはないことを示しているように思われる。けれども同書は6世紀にボエティウスがラテン語に訳して以降、ポルフュリオスの意図とは別に、普遍をめぐる教説の参照元に押し上げられていく。クザンは、ボエティウスが上の3つの文言を最初のものに集約し、それが実定的に存在することを肯定していると見、しかもそれが類や種のみに限らず、差異や本性・偶有に対しても適用されていることを難点とし、ボエティウスがポルフュリオスを正しく理解していないと批判しているという。

クザンはその上で、ボエティウスに寄らない解釈を示していくというわけなのだが、そこでは『イサゴーゲー』が『カテゴリー論』の序文であり、その『カテゴリー論』が『命題論(解釈について)』の前段階をなしているという事実から、この一文が解釈されることになる。『命題論』の冒頭には、事物と魂における情感(概念)との区別が立てられている。ここから、『命題論』の解釈が『カテゴリー論』の目的の解釈(アカデメイア派に古来からその目的をめぐる議論があった)に、さらにはその『カテゴリー論』の目的の解釈が『イサゴーゲー』の解釈に、フィードバック的もしくは回顧的に投影されていくことになるのではないか……というのがリベラの見立てだ。クザンは上のポルフュリオスの三つの問いを微妙に言い換えているというのだが、すでにしてそこに、こうした回顧的投影の痕跡が見いだされる、ということもできるかもしれない。ポルフュリオスにとっては問題として定立されていなかった普遍についての問いが、こうして後から「投影」されることになる。「考古学」が分け入っていくべきなのは、そうした残照からの解釈の投影・応酬・照応関係そのもの、そうした構造そのものなのだ、ということになる。

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