「言葉の学」カテゴリーアーカイブ

通詞の現象学 – 4

これまで見てきた『蘭学と日本語』は、数々の問題を提示してくれる大変刺激的な一冊だが、文献学的な視座に立つものである以上、現象学的な推論へと踏み込むことはもちろんしない。とはいえそういう誘惑を絶えず喚起しもする。たとえば「デアル」体の発生・展開問題など(pp.209-224)はとりわけ興味深く、1800年代前半からすでに長崎通詞の間で、口語体に近い文章体として翻訳体に採用されている事例があることがわかる。推測を伴う「デアロウ」なども同様なのだとか。また当時編纂された辞書にもそうしたデアル体が使われている事例があるという。1800年代半ばごろには、デアル体が一般的な文体になっている例も見られるといい、以後の蘭学から英学への移行に際しても受け継がれていくという。いくぶん素朴かつ妄想的な捉え方をするなら、漢語的な〜ナリという文末が「成る」から派生しているとするなら、〜デアルは「有る」からの派生として、ある種の認識論的転換を含意している可能性などもあるかもしれない、などと思ってみたりもするのだが(生成論的な認識の痕跡から存在論的な認識の痕跡へ?)、現実的な面からすれば、当然ながらと言うべきか、話はそう単純でもなさそうではある(苦笑)。いずれにしても英学に受け継がれることで、デアル体は改めて華々しい登場となった模様だ。さらにその論考の末尾では、デス(デゴザイマス、デアリマスの略語?)の形成小史も考察すべきだと記されている。一部の女性特有の用語だったというその語法は、いつしかそうした枠が外れ、明治に入って急速に普及したという。そのあたりも精神史として見るととても面白そうだが、いずれにせよそれらの問題については、ここから先、別の文献を漁ることが必要になりそうだ。

訳された近代別の角度からのアプローチで翻訳という現象を捉える意味で、このところ次の書にも眼を通している。長沼美香子『訳された近代』(法政大学出版局、2017)。明治初期の管制翻訳プロジェクトだった英語の百科全書の邦訳を題材に、訳語の採択から当時のイデオロギー的な背景を浮かび上がらせようという野心的な研究のようだ。そのため文献学から少しばかり思想史的・現象学的な方向に踏み込んでいこうとしているように見える。たとえば「言語」という訳語について考察した第4章。『百科全書』の言語編(原典はChambers’s Information for the People第5版のLANGUAGE、邦訳の初版は1883年)を担当した大槻文彦による訳語(「言語」)は、江戸時代までは漢音のゲンギョと呉音のゴンゴがあり、訳語として採用された当時、どちらの音声によっていたのかは微妙な問題らしい。ヘボンの辞書(1867年から1886年の第三版まである)や同じ頃の他の辞書には「ケンギョ」「ゲンギョ」「ゲンゴ」「ゴンゴ」などが版によっても異なり入り乱れているといい、languageの訳語としての「言語」は、1886年頃に「ゲンゴ」でも使用されるようになった、とされている。それでもなお、ゲンギョとの揺れは大槻の辞書『言海』(1891年)にも見られるといい、私たちが疑いもなく抱くような「language = 言語【ゲンゴ】」という等価物は、翻訳行為によって等価とされた幻想、後に既成事実化される幻想にほかならないと著者は結論づけている。翻訳行為の等価性もまた構築される幻想なのだとしているところに、その先の哲学的な深みが垣間見える思いがする。

言語への自然主義的アプローチ

生成文法理論の哲学的意義: 言語の内在的・自然主義的アプローチ前回取り上げたジュリアンの著作は、洋の東西の間で、内面的な深化と外面的な拡充との間で対話が開かれる可能性を示唆していたわけだが、ことこれが同じ西欧思想的な土壌の上に立つと、なにやら様相がひどく歪んでしまうように思われる。その実例を感じさせてくれるのが、阿部潤『生成文法理論の哲学的意義: 言語の内在的・自然主義的アプローチ』(開拓社、2017)。チョムスキーの生成文法の背景をなす哲学的な立場が、パットナムやクワインなどの言語哲学とどのように齟齬をきたしているか、それらがどのようにどこか的はずれな批判をしているのかをまとめた一冊。個人的にはなかなか興味深い。というのも、チョムスキーが内的言語へ、内面化された無意識的な規則(言語能力)へと向かうのに対して、たとえばパットナムは、外界の対象物との関係性を抜きにしては意味論を考察しえないといった外在的な言語観に立ち続け、結果として両者の立場はたがいに相容れないかたちで離反してしまうからだ。言語という名で呼んでいるだけで両者の対象とするものは大きく異なり(言語能力と実体としての言語)、そのあたりの意味の違いが、相互の対話にある種の阻害をもたらしているように思える。ほかの自然科学では認められるアプローチが、なぜ言語には認められないのかとチョムスキーは述べ、クワインなどは言語の規則は、外在的な言語行動そのものに見いだされるのでなければならないと譲らず、両者は頑なに平行線を辿る。著者はもちろん生成文法擁護派なのだが、確かに引用されている議論を見る限りにおいては、それら言語哲学側からは中立的に見ても少々納得しがたい議論をふっかけているようにも見える。こうした相互の不理解は、ときに反論のための反論に陥っている感もなきにしもあらずで、相容れないスタンスから対話を引き出すことの難しさを痛感させもするが、一方でそうしたドグマ的な反論を排することは可能なのか、可能であればそれはいかにして、といった問題が改めて検討されなくてはならない、と改めて思う。

通詞の現象学 – 3

蘭学と日本語杉本つとむ『蘭学と日本語』の第二部は、「蘭学研究・翻訳と近代日本語の創造」という表題で、各章それぞれに近代の日本語成立にまつわる論考が並んでいる。まずその第二部第一章「近代日本語の成立−−洋学との関連において」(pp.145 – 170)。これは当時の蘭学事情を知るための全体の見取り図のようなまとめになっていて、とても参考になる。杉田玄白の『蘭学事始』が示す江戸蘭学とは別筋にあたる蘭学の世界、あるいは長崎通詞の系譜などなど、複数の力線が描かれている。興味深いことに、玄白はすでにして(大槻玄沢の『蘭学階梯』も同様とのことだが)、通詞は語学屋、蘭学者は学問的な研究者であるとして、前者を貶めてみせる。ここには、自己擁立のための他者の排斥といういつもながらの論理が見え隠れする。けれどもその実、著者が指摘するように、蘭学は長崎通詞から始まっているわけで、まさに起源の隠蔽・放逐が体系を支えるという構図でもある。

この論考では様々な通詞・蘭学者の名が挙げられていて、なにやらその全体像に眼が眩む想いがする。オランダ解剖書の翻訳を手がけた長崎通詞、本木良意。外科の楢林鎮山、若くして大通詞となった博学の吉雄耕牛(同書の著者が、研究対象としてなすべくことが多々あると述べている人物だ)。天文学の翻訳などで知られるという本木良永も興味深い。天文・物理などの翻訳を手がけ、また蘭語学の基礎をも作ったという志筑忠雄、そしてその後に来る中野柳圃。また蘭学が私学から官学へと移行する現場に居合わせた馬場佐十郎、さらに後の宇田川玄随とその子にあたる玄真なども注目度が高い。玄真の『西説医範提綱釈義』という書が、当時の学術で一般的だった漢文体に代えて、漢字かなまじりの国字体を用いているという。普及をねらったのだろうと論考の著者は記しているが、これなどはその宇田川家の学風だったといい、多くの蘭学者にもその傾向が見られるという。そちらもまた、自己擁立のための他者との差異化だったのか、それとも異言語との出会いによる、何かもっと深い意識的な変容の所作なのか、そのあたりの問題をもう少し考えてみたい。

【メモ】語源分析の心得 – プロクロス『クラテュロス註解』から

Commento al «Cratilo» di Platone. Testo greco a fronteプロクロスの『クラテュロス註解』からメモ。第85節には、語源分析を行おうとする人の心得が列挙されている。それをさらにまとめるとこんな感じ。そういう人が知っておくべき・修得しておくべきなのは、(1) 方言による違い、(2) 詩人別の用法、(3) 名前が単一か組み合わせかの区別、(4) 名前の適切な説明づけ、(5) 用法における違い、(6) 発話が被る変化(短縮、省略、反復、音節の癒合など)、(7) 個別の文字、(8) 両義性、同音異義語など。これらいずれかの知識を欠いていると、誤った解釈に陥るとされる。総じて批判的な判断ができなくてはならないとされ、その後には名前の実例がいくつか挙げられたりもしている。プラトンは「アガメムノン」が「ἄγαν(過度に)」からではなく「 ἀγαστὸν(称賛すべき)」から派生していると述べていたりするが(395a8)、文法家たちは質料(ここでは素材としての言葉を意味していると思われる)面に拘り形相(それが表すものの存在)を見ないがゆえに、逆の解釈を示してしまう、とプロクロスはコメントする(第91節)。

余談ながら、第96節に「ἄνθος τοῦ νοῦ(知性の花)」という表現が出てくる。伊語訳注によれば、これはもとは『カルデア神託』からのもので、崇高なる知性、神の領域に触れるほどに高まった知性の状態を言うのだそうだ。この本文の箇所では、「知性の花」のみが、その言葉が示唆する、言い得ず知りえない神的な実体に触れることができるのであって、ソクラテスが分析する神の名は、あくまでその像にすぎないことが語られている。また、この底本冒頭の解説によれば、この表現はもっと先の第113節にも登場し、人間には「知性の花」を介して、また人間の本質のより真正な部分を通じて、神的な現実に接する可能性があるとされてもいるのだという。プロクロスは『クラテュロス』の神名の分析に、そうした内奥に向かうとっかかりのようなものを見いだしていることが改めてわかる。

通詞の現象学 – 2

前回、中野柳圃が冠詞を「発声詞」と訳出した背景の一つに、荻生徂徠の「発語ノ辞」があったのではないかという話に触れた。これが妙に気になるところなのだが、今一つそれが具体的になっておらず釈然としない。さしあたり、外堀からという感じで、ネットで見つかる論文を眺めてみる。武内真弓『荻生徂徠の言語観 : 『訳文筌蹄』初編と「国会本」の比較から』(中国言語文化研究14、2014、佛教大学)によると、江戸中期に中国語で漢籍を読むという動きがブームになったのだそうで、当時の現代中国語学習を通じて、荻生徂徠が音声重視の言語観を育んだらしい。そのことを、徂徠の著作『訳文筌蹄』を通じて浮き彫りにする、というのがその論考。そこでもやはり、外国語という異質なものを取り込むことで、字義解釈の姿勢に変化が生じている(同論考によれば、「俗語」の重視など)が読み取られている。文献学的な論考ではあるものの、このあたりはとても興味深い。

同じく藍弘岳『徳川前期における明代古文辞派の受容と荻生徂徠の「古文辞学」 : 李・王関係著作の将来と荻生徂徠の詩文論の展開』(日本漢文学研究3、2008)にも、徂徠が『訳文筌蹄』初編で、和訓での漢文の読みと、宋文だけの学習を批判し、「理」のみに拘らず「修辞」をも重んじるべきとして、古文辞を研究することを説いていることが示されている。さらにまたその詩論において、格調というときの「調」について、徂徠が「声」のみならず「色」をも含みもつ概念として扱っていることを指摘してもいる。声律としての調というよりも、辞と気格こそが着目されるのだという。古文辞への回帰指向が、そうした音声的なものとそれに付随する概念・価値観への着目に裏打ちされているというのは、とても重要であると思われる。そうした裏打ちの関係性には、どこか普遍的な相すら感じ取れるような気がするからだが……。

さて、杉本つとむ『蘭学と日本語』からも、三つめの論考「中野柳圃『蘭学生前父』の考察」を読んでみた。再び品詞論が取り上げられているが、柳圃が動詞から名詞への転成語形を称して「動詞ノ死」と、また形容詞から名詞への転成を「静ノ死」と、「死」「死用」の概念で名詞化を表現しているという話が出ていてこれまた興味をそそる。なにかこの、固定化のようなことを称して死と称しているのだろうか。また、日本語の他動詞の構造が蘭語と違うために、「誰々が言った語」のほかに「誰々が言った人」(誰=人ということ)のどちらも可能だという指摘があるのだそうで、これを著者は「彼我対照しての比較文法の芽ばえ」ととらえている。この構造上の差異の認識がどのような影響を及ぼすのかについても、追々考えてみたい。