「古典語・古典学系」カテゴリーアーカイブ

関西語訳(笑)

なにやらじわじわっと話題が広がっている(?)らしい、『ソクラテスの弁明 – 関西弁訳』(北口裕康訳、PARCO出版)。さっそくゲットしてみた。出だしのところをちょろっと眺めただけだけれど、これはなかなか良いんでないの?とてもこなれた訳になっている。一般向けはこれでまったくオッケーという感じ。そもそも翻訳においては、専門家向けと一般向けとで別々の訳が出るというのはある種の理想型。で、訳者も高名なセンセ(笑)とかだけでなく、誰が参入してもよろしい、みたいなのが理想型(なかなかそうなっていないところが問題なのだが)。その意味で、こうした訳出の試みには大いに賛同したいところ。

……とここまで書いてふと思ったのだけれど、これって関西語に「訳した」といういわばリライトもの?なぜそう思うかというと、原典訳にしては底本が示されておらず、参考文献ばかりずらずら載せてあるので……。うーん、ま、仮にそうだったとしても、そういうのもありかもね、という気もする。いずれにせよ、同書を読んでギリシア語原典に興味を持った人は、「Textkit」(ギリシア語・ラテン語学習支援サイト)を覗いて、ぜひルイス・ダイヤーの原典注釈本(pdf)をダウンロードしよう!(笑)

ヌメニオス

2日間ほど帰省。田舎では暇なので、たいてい何か薄めの読む本を持って行くのだけれど、結局読み切らずに持ち帰ることが多い(苦笑)。今回はBelles Lettresから出ているヌメニオスの断章の希仏対訳本(“Numénius – Fragmenets”, trad. Edouard des Places, S.J., Les Belles Lettres 2003)。で、今回は半分も進まずに持ち帰ってきた。でもこれ、内容的にはとても充実。2世紀後半ごろに活躍したヌメニオスは、新プラトン主義の成立そのものに貢献したなんて言われるけれど、その三神思想とかは実際にとても興味深い(Fr.21)。また、プラトン思想を標榜している当時の人々に、プラトンを正しく継承していないという厳しい批判を寄せたりもしている(Fr24)。ピュタゴラス思想との摺り合わせもあって、さらにモーセにも言及して、「プラトンとは、アッティカ語を話すモーセ以外の何者だろうか?」(Τί γὰρ ἐστι Πλάτων ἢ Μωσῆς ἀττικίζων᾿ ; )なんて言ったりしているという(Fr8)。うーん、このあたりの言及の中身はとても気になるところだ。とりあえず、後半もひととおり読むことにしよう。

TLG

久々にTLG(Thesaurus Linguae Graecae)を見たら、サイトのデザインが変わり、今風になっていた。リアルタイムアクセスのウィジェットまで付いている……。ギリシア語文献の最大のデータベースは、今なお拡充が続いているようで、相変わらず素晴らしい。いつの間にか、無料アクセス版の著者リストも大幅に拡充されている(前にはなかったプラトンやアリストテレスも入ったし、なんともまあ、ニュッサのグレゴリオスや、ナジアンゾスのグレゴリオス、ヨハネス・クリソストモス、ダマスクスのヨアンネスなども入っている!)。

去年だか一昨年だかあたりから始まった新料金スキームはちょっと微妙な感じだった。それ以前はアクセス時間制で、一回料金を払うと24時間分だったか(?)が得られた。間延びなユーザなので、個人的にはまだ10時間くらい残っている。たまにしか使わないユーザにはこれは大変ありがたい方式なのだけれど、金銭を受け取る側にしてみれば、これは間延びのしすぎということになるのだろう。そんなわけで、いつの間にか、年限方式になったのだった。個人ユーザの場合、100ドルで1年、400ドルで5年。ま、使い倒そうと思うなら、サイトの利便性からすれば決して高くはないと言えるかもしれないけれど(月2000円くらい払う有料データベースもザラだしね)、欲を言えばもっと弾力性のあるスキームにしてほしいなあとか思っていた(3年分とか、格安の半年分とかのオプションもあってほしい)。でも上の無料アクセス版の拡充ぶりを見て(これってオープンソースとクローズドソースの併存モデルだよね)、そちらも今後もさらに拡充してくれるなら、このスキームでもいいかもねという気がしてきた(笑)。

「ニンフの洞窟」

本格的な寓意的解釈の嚆矢とも言われるポルピュリオスの『ニンフの洞窟』。これの希伊対訳本(“L’antro delle Ninfe”, a cura di Laura Simonini, Adelphi Edizioni, 1986)を、積ん読解除で読み始める。テキスト自体はそれほど長いものではない。まだ3分の1くらいだけれど、すでにしてなかなか面白い。ホメロスの『オデュッセイア』に出てくる一節をめぐり、洞窟やニンフの寓意、そこに古来より込められた多義的な意味をめぐる話が展開していく。ポルピュリオスの、これはコスモロジー系のテキストということになるのかしら。いずれにしても、洞窟はまずもって人間と神を繋ぐものであり、ヒューレー(第一質料でしょうね)の寓意であったり、質料から生成するコスモスの寓意であったりするという。その際の理屈が、洞窟は「自発的に形成される(αὐτοφυής)」からというのだけれど、考えようによってはこれはとても興味深いところ。原初的な形成(形相との混成?)がまずもって穿たれた「穴」として生じるというところに、ある種の形而上学的な可能性が感じられる(笑)。穴の形而上学というと分析哲学系の話題になってしまうけれど、「自発的」という部分も含めて「穿ち」の形而上学ということを考えることもできたりするんじゃないかしら、なんてね(笑)。とりあえずゆっくりとテキストの先に進むことにしよう。

ピロポノス追記(&ブック検索)

13世紀ごろに出回っていたピロポノスのラテン語訳は、アリストテレスの『霊魂論』第三巻への注解だった(苦笑)。定番の参照本、ジルソンの『中世の哲学』(E. Gilson, “La philosophie au Moyen Age”, Payot & Rivages 1999)にちゃんと言及されていた。メルベケのギヨームによる1268年のラテン語訳。トマス・アクィナスが目にした可能性も当然あるという。ボナヴェントゥラが参照したというのもこれかしら?その点については言及はないようだけれど……。また、『自然学』注解のラテン語訳の存在もやはり不明。うーん、やはりかなり後になってからなのか、それとも13世紀ごろの訳書は散逸してしまっているだけなのか……?

ちなみにこれも定番の『ケンブリッジ中世後期哲学史』(メルベケの訳本への言及はそちらでも確認可)などは、今やグーグルのブック検索で一部公開になっている(“The Cambridge History of Later Medieval Philosophy”)。ブック検索の基本は絶版本という話だったけれど、あれれ、これはどうなっているのかしら?例の強引とされた和解のせいで閲覧可能になっているわけ?確かに全ページではないけれど、うーん……。ブック検索、便利だから使わない手はないし、学術書などの公開は原則としてもっと幅広く行われてほしいと思うのはやまやまだけれど、なにかこう今ひとつすっきりしないのは、こういう市販されている本の扱いがちょっと怪しいからか……。ちょうど日本の中小の出版社がブック検索の和解案を蹴ったニュースが出ていたけれど(Internet Watchとか)、やはりそのあたりが問題になっているようだ。もっとも、少部数の学術書などは本来、別のスキームが必要に思えたりもする。学術書や論文などは、学術的価値などから考えて部分的公開でいいから迅速になされたほうがよい気もする。もちろん、権利者のなんらかの同意は必要だろうけれど。いずれにしても十把一絡げで対応しようというのはそろそろ限界なんではないかしら、と。