「古典語・古典学系」カテゴリーアーカイブ

ヘルマイオン

古典ギリシア語の作文強化に向けて(苦笑)、この半年ほど作文問題を中心に文法を一通り駆け足で見直している。そのテキストにしているのがこれ。『ヘルマイオン』(J. V. Vernhes, “ἕρμαιον – initiation au grec ancien”, Ophrys, 1994-2003)。フランスで出ている、おそらく最も練習問題の多い古典ギリシア語入門書。練習問題の多さで、これは実に優れもの。これほどガツンと手応えのある学習書、昨今の日本国内には見あたらない(?)。35課あるのだけれど、各課の訳読問題は平均でかるく100題を超える。さらに作文が30題から多いときには60〜70題。訳読問題は課が進むとそれなりに複雑化していくけれど、作文問題は大体一定(笑)。ま、これだけ浴びれば、弱点もよくわかるというもの(個人的には、アクセント記号の位置を結構間違えるのと、不規則動詞の活用……。ま、こんなのはひたすら馴れでしょうけどね)。語学は体育だと久々に思う。これ、いきなり初学者が取り組むというよりも復習用に最適。本文はフランス語だけれど、どこかの出版社が邦訳とか出してほしいところだよね。どこかやりませんかねえ……こんな出版情勢ではちょっと難しいだろうけど。本来は教室で使うことを前提としているみらいだけれど、独習も可。独学用には別冊の「部分解答集」(“Corrigés partiels”)もお忘れなく。とりあえず作文問題と各課の「本格テキスト」の訳の模範解答が載っている(訳読の解答はない)。多少ミスプリとかヌケとかあるのがフランスっぽくってご愛敬(笑)。

ピロポノスの方へ

メルマガのほうでインペトゥス理論(物体に力が伝わるという中世の運動理論)を復習しているのだけれど、その関係でヨアンネス・ピロポノスの『自然学注解』(Galicaで落とせる)をごく一部分ながら読んでみた。これがなかなか面白そう。ちゃんと最初から読もうかなあ(大変そうだけど)。くだんのインペトゥス理論がらみの話は真空についての論難部分に関連した文脈で出てくるのだけれど、とにかくアリストテレス批判っぽい話が微妙ににじんでいる感じ。ちょっと古い平凡社の『哲学事典』(1971-95)などを引くと、アリストテレスへの批判について「どの程度彼の独創で、どの程度当時までの反アリストテレス思想の伝統に由来しているかは、まだ明確ではない」なんて記してある(p.1171)。うーん、このあたりのことって、その後どのくらい研究が進んでいるのかしら、と関心が沸く。

さらにインペトゥス理論の先駆としての位置づけについても、「この概念が10世紀アラビアの注釈者たちを通じて、ビュリダン、サクソニアのアルベルトゥスら14世紀インペトゥス理論提唱者に伝承された、という説は、そのルートについて完全な確証を得ていない」(同)とある。『自然学注解』は確かシリア語、アラビア語訳はあったはずだが、ということはそこからのラテン語訳がないということなのかしら?でも、おそらく『世界の永遠性について』の話だと思うのだけれど、ボナヴェントゥラとかが影響を受けたという話もあったはず。うーん、ピロポノスの受容とか、基本的なところからちょっと確認せねば(笑)。

奇矯と偉大

普通なら関係者だけで共有される本という感じだけれど、一般販売されているのがとても嬉しい『ラテン詩人水野有庸の軌跡』(大阪公立大学共同出版会、2009)。昨年春に鬼籍に入った日本随一の「ラテン詩人」。大学でのそのラテン語授業も超弩級の激しいものだったといい、その学恩に与った人々を中心に、様々な思い出を綴っているなんとも刺激に満ちた追悼文集だ。そこから浮かび上がる「ラテン語一代記」。そして弟子の方々の分厚い層。うーん、圧倒される。古典学の学会で、水野氏があたりの人にラテン語で話しかけまくり、皆が逃げたなんていうエピソードも。奇矯さ(というかある種の狂気というか)は偉大さの裏返しみたいなものなのだろうけれど、でも、ラテン語会話を受け止める人がいなかった(らしい)というのもちょっと問題よね(笑)。どの古典語だろうと言葉なのだから、文献を読む(黙読的に)だけでなく、音読し書けて話せて聞けるというのはやはり基本……だよなあ。学問としてはそこまでしなくても、というコメントも誰か寄せているけれど、でも自由に使いこなすというのは無上の楽しみなはず。というわけで、まあ、あまり激しくはできないけれど(苦笑)、自分も「エウパリノス・プロジェクト」に向けて少しづつ前進しようと改めて思ったりする。

その水野氏の『古典ラテン詩の精』は現在は入手不可のようだけれど、機会があればぜひ見てみたいところ。ちなみに、「Nux mea uoluitur; en nucula / in stagnum incidit: hac quid fit?」と始まる「どんぐりころころ」ほかいくつかのラテン語訳は同文集に収録されている。ちゃんと歌として歌えてしまうこの見事さ!

ポルピュリオス論

個人的にはぼちぼちとポルピュリオスなどについての論考も読んでいきたいものだと思っているけれど、とりあえず、ジュゼッペ・ジルジェンティ『ポルピュリオスの特徴的思想』(“Giuseppe Girgenti, “Il pensiero forte di Porfirio”, Vita e Pensiero, 1996″)を取り寄せてみた。まだ読み始めたばかりだけれど、アリストテレス思想とプラトン主義との融和を図ろうとした思想家として、ポルピュリオスを真っ向から捉えようとしているところが、変な言い方になるけれどある意味すがすがしい(笑)。堅実な直球型の論究。両者の思想の核心部分には、存在論と一者論(ヘノロギア)の対立があるというわけで、ポルピュリオスは存在と一者を同一と見なし、両者の調停役を買って出ているのだ、というのがメインストリームらしい。プラトン主義の一者論の流れと、アリストテレス思想圏の存在論の系譜を整理した上で、ポルピュリオスによるプラトン、アリストテレス双方の著作への注解書を読み解いていくという趣向のようで、結構読み応えがありそう。

中世ギリシア語

メルマガのほうで取り上げた本だけれど、こちらでも紹介しておこう。ロバート・ブラウンニング『中世・近代ギリシア語』(Robert Browning, “Medieval & Modern Greek”, Cambridge University Press, 1969 – 1999))。古代末期から近代までのギリシア語通史を見渡せる一冊。コイネーがその後どのように各国後の干渉を受けて変化していくかを、代表的な具体例を交えつつまとめている。それにしても興味深いのは、近代語へと繋がっていく話し言葉のギリシア語(あえてそう呼ぶならばだが)の大枠が、中世初期、遅くとも10世紀ごろまでには成立していたのではないか、という議論。書き言葉はというと、プセロスの時代にはすでにして一種の擬古調になっていて、年代記その他の端々に話し言葉の影響らしいものが見えてくるのだという。うーん、となると実際の年代記の具体例が見たいところ。同書はあくまで概説書なので、語形変化などの例は載っているものの、テキストの抜粋などはないので、その点がちょっと残念……なんて思っていたら、Medieval Greek Texts: Being a Collection of the Earliest Compositions in Vulgar Greekなんてのが昨年秋に出ているのでないの。これはちょっと覗いてみたい。