「古典語・古典学系」カテゴリーアーカイブ

エウパリノス・プロジェクト

昨年、ポール・ヴァレリーの「エウパリノス」が清水徹訳で出た岩波文庫版で出た。『エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話』。タイトル通り、三編の対話編が収録されている。プラトンの対話編を模しつつフランス語で書かれた詩的な対話編。前二作は主にソクラテスとパイドロスの対話、もう一作はルクレティウスとティティルスの対話ということで展開する。うーん、こういうのを見ると、逆に次のようなことをやりたくなってくる。つまり、「エウパリノス」「魂と舞踏」の古典ギリシア語訳、「樹についての対話」のラテン語訳を作ってみたい、と(笑)。そう、まさに偽書の夢ですな。でもそのためには、両古典語での作文能力を飛躍的に高めないと。もっぱら読むだけのこれまでの関わり方を見直して、ちゃんとそれなりにアウトプットでき、また『パイドロス』あたりの文体も真似られるようにもっていく、と。まあ、時間も労力もかなりかかるのは間違いないけれど、ぜひとも挑んでみたいものだなあ。もっとも、徒労に終わらないとも限らないのだが……(苦笑)。そんなわけで、題してエウパリノス・プロジェクト、おそらくは牛歩のごとき歩みになるが、ぼちぼちと準備することにしよう。

セドゥリウス・スコトゥス……

以前に取り上げたグーゲンハイム本(『モン=サン・ミッシェルのアリストテレス』)に触発される形で、メルマガのほうでもギリシア思想の伝達問題を見直しているところだけれど、最近岩波書店から刊行されている「ヨーロッパの中世」シリーズの1冊(というか第一回配本)、佐藤彰一『中世世界とは何か』が、すでにその本について触れているという話をきき、さっそく取り寄せてみる。これ、まだちゃんとは読んでいないのだけれど、初期中世を中心に、統治の問題から修道院文化まで、最新の知見を交えながらまとめたもののよう。なかなかに面白そうだ。で、上のグーゲンハイム本への言及は、第5章の3節。カロリンガ・ルネサンスの文脈で出てくる。「新説は提示されたばかりであり、今後どのような展開を見せるかはいまだ判然としないが、注目すべき問題提起である」と、ギリシアの諸学が西方で息づいていたという説へは慎重な立場を示している。

で、個人的には、そこに先立つ箇所でフランク世界の「知的磁力の核心」例として取り上げられているセドゥリウス・スコトゥスの話が興味深い。アイルランドの学僧で、848年にリエージュに現れ、ギリシア古典の博識をもとに著作を著し、10年ほどで消えていった人物なのだという(p.249)。愛用の『中世辞典』(“Dictionniare du Moyen Age”, puf, 2002)でも、詳細不明の人物とされている。宮廷付きの詩人としても活躍したようで、詩作品のほか、マタイによる福音書やパウロ書簡の注解書、文法書、さらには自筆でのギリシア語の詩編集なども残っているという。なるほど、これまた興味深い人物だ。著作や研究書も探してみようか。

キケロの自然学へ

今年は年越し本の消化がなかなか進まないなあ……(苦笑)。これもその1つ。角田幸彦『体系的哲学者キケローの世界』(文化書房博文社、2008)。キケロの『アカデミカ』『神々の本性について』、倫理学系の著作のそれぞれについて、いわば注解のように、学派の伝統や社会背景などを潤沢に織り込んで解説したもの。これは原典にあたるとき手元に置いておきたい一冊かも。キケロは折衷主義みたいに言われることが多かったと思うけれど、ここでは基本スタンスとしてその折衷主義に肯定的な意味を付している(これはどうやら世界的な研究動向らしい)。その懐疑主義的姿勢についても、著者は「吟味主義」と言い換えてみせる。個人的には12世紀のキケロ主義の流れという文脈でキケロを読み直そうとだいぶ前から思っているのだけれど(なかなか進んでいないのだけれど)、どうもそれだと倫理学系が重視される感じになってしまうが、この同書を読んで、むしろその『神々の本性について』が重要かも、という気がしてきた。これはコスモロジーも含む自然学の対話編。未読なのだけれど、著者の解説によれば、キケロのテキストには、エピクロス派への共感や自派であるストア派そのものへの批判、アカデメイア派的な姿勢などが複合的に示されているらしい。それにもまして、個々の思想内容、たとえばストア派的な熱(エーテル)の考え方などは、12世紀のコンシュのギヨームあたり(?)に影響しているような印象が強い。うん、キケロのテキストの中世での受容とかも、ちゃんと確認してみたい。

パレスチナ……

イスラエルによるガザ地区の攻撃。仏語の歴史サイト「Herodote.net」がパレスチナ情勢の基本をまとめているが、今回のはなんだかハマスを叩くというよりも、戦争景気みたいなのを煽ろうとしているかのようで、ほとんどミニ・ブッシュという感じにしか見えない。地上戦になって一般市民の犠牲はさらに増えているといい、切り札的に(?)中東に乗り込んだフランスのサルコジの調停もまったく意味をなさず、事実上のスタンドプレーで終わったようで。「そもそもハマスが悪い」なんてイスラエル側の軍事プロパガンダをなぞるだけの捨て台詞を吐いて帰国とは情けないんでないの?パレスチナ人(あるいは周辺のアラブ諸国)がそんなプロパガンダにのっかってハマスへと反対運動とか起こすとはとうてい思えないし(各地のデモは当然反イスラエルだし)、被害の責任関係から言うなら、いきなり大規模な空爆に出たイスラエル側の責任はやはり重大なわけで……。

そんなことを思っていると暗澹たる気分になってくるわけだけれど、気分を変えるべく、ちらちら眺めていた大修館書店の『月刊言語』12月号の特集(「古典語・古代語の世界」)を取り上げておこう。同特集では、アラビア語とヘブライ語の紹介記事はどちらも並んで、「世界言語遺産」みたいなものがあったら……という仮定で書き進められているのが面白い(これって編集部からのお題ですかね?)。アラビア語について面白いのは、クルアーン(コーラン)が本来的に暗唱するものであり、書の形で正典化したのも第三代カリフの時代で、当時は正書法なども確立しておらず、識字人口も限られていて、暗唱と照らし合わせないと読めないという時代が1世紀あまり続いたのだという。そのあたりが聖書との決定的な違いなのだそうだ。

ヘブライ語のほうでは、19世紀に復活したヘブライ語が古い言葉の復元というよりも、たとえば音素体系ではイディッシュ語やアラビア語から音素を取り込んだ折衷案だった、といった話が興味深い。国際連盟の委託でイギリスがパレスチナを統治した時分、英語、アラビア語、ヘブライ語を公用語に定めたといい、いったん死語になった言語が公用語に返り咲くということがそもそも前代未聞なのだという。そりゃそうだよねえ。それにしても、もともとセム系だし、近代語に限ってみてもやはり兄弟関係と言えなくもなさそうな両言語なのだけれどねえ……。

iPod Touchで古典を読みたい(その2)

うーむ、ちょっと風邪ぎみ……。午後から夕方はダウン。

で、今ごろのそのそとiTunes Storeを見ていたら、なんと、Greek-English Lexicon
iconというのが出ているではないか!有料アプリだけれど、これは即買い(230円)。1924年のLiddle & Scott(パブリックドメインなんですね)をもとにした古典ギリシア語 – 英語の辞書。iPod Touchで使うと、検索語の入力用にソフトキーボードがギリシア文字で出る。なかなかいいねえ、これ。表示とかは普通……というかちょっと見づらい感じも。でもこれで、出先でギリシア語本読むときには重宝しそうだ。うん、なんか元気出てきた(笑)。