プセロス「カルデア古代教義概説」 – 4

8. Ἔχει δὲ περὶ αὐτὴν ἡ ῾Εκάτη πηγὰς διαφόρων φύσεων. Τῶν δὲ κατὰ τὸν ζωστῆρα πηγῶν ἡ μὲν φύσις τὸ τέλος συμπεραίνει τῶν τῆς Ἑκάτης νώτων ἀπαιωρουμένη· τῶν δὲ ἐν τῇ λαγόνι πηγῶν ἡ μὲν τῶν ψυχῶν ἐστι δεξιά, ἡ δὲ τῶν ἀρετῶν ἐν λαιοῖς.

9. Ὁ δὲ δίς ἐπέκεινα τάξιν μὲν ἔλαχεν ἐν ταῖς πηγαῖς δημιουργικήν, ὥσπερ ζωογόνον ἡ Ἑκάτη· αὐτὸς γάρ προὔθηκε τὸν τῶν ἰδεῶν τύπον τῷ κόσμῳ· καλεῖται δὲ δὶς ἐπέκεινα, ὅτι δυαδικός ἐστι, νῷ μὲν κατέχων τὰ νοητά, αἴσθησιν δὲ ἐπάγων τοῖς κόσμοις· ὁ δὲ ἅπαξ ἐπέκεινα λέγεται, ὅτι ἑνιαῖος ἐστιν· ἡ δὲ Ἑκάτη μόνον ἐπέκεινα.

8. ヘカテーの周りには本性の異なる複数の源がある。帯のもとにある源のうち、ピュシスはヘカテーの背中にぶら下がって完成を導く。側面にある源のうち、魂の源は右側、効力の源は左側となる。

9. 「超越的な二者」は、種々の源にあって、創造者としての序列を分かち合った者である。同じくヘカテーは、生命を付与する者の序列を得た者である。というのも、その者こそがイデアの刻印を世界に授けたからだ。「超越的な二者」と呼ばれるのは、それが二つの部分から成るからであり、知性のもとに知解対象を抱きつつ、世界に感覚を与えるのである。一方の「超越的一者」がそう言われるのは、それが単一であるからである。ヘカテーはというと、単に「超越的」であるにすぎない。

リュートtube – 11 再びムダーラのファンタシア

昨年末のクリスマスごろにアップされたtrolabe氏の演奏+イメージ画はなかなか見事なフォーマットだと思ったけれど、そのフォーマットを使って、今度はアロンソ・ムダーラのファンタシア10番が登場していた!わぉ、これはお見事。ムダーラの曲はこれに限らず超難しいけれど(苦笑)、とても味わいのある仕上がりっすね。前にジュリアン・ブリームの映像があったけれど(リュートtube 4)、それとはまた趣きの違った演奏が味わえる。今回はビウエラではなくルネサンス・リュートでの演奏。

イメージ論:始まりのアウグスティヌス

オリヴィエ・ブールノア『イメージを超えて – 中世5〜16世紀の視覚の考古学』(Olivier Boulnois, “Au-delà de l’image – Une archéologie du visuel au Moyen Âge Ve – XVIe siècle”, Seuil, 2008)を読み始める。仏語で言うところの「イメージ(イマージュ)」は内面的な想像力から外部の絵画まで様々な事象を言う多義的な言葉だけれど、これはその多義性をそのままに、中世のイメージの諸側面を広くほ渉猟しようという一冊らしい。まだ二章目に入ったところ。一章目はアウグスティヌスのイメージ論を手堅くまとめていてとても参考になる。ここでの「イメージ論」は「神の似姿としての人間」という聖書の解釈を中心としたもの。そこから「像とは何か」といった問題が切り出されるという次第。で、アウグスティヌスの場合4つほどの点で、先行する教父たちの伝統から隔たった革新的な議論になっているのだという。人間は子(キリスト)にではなく三位に共通するエッセンスに似せられている、とした点が第一点。「像であること」と「似ていること」の区別を廃した点が第二点。「似姿」と「像」を切り離さずに考察していることのが第三点。神の似像とは魂であって、魂と身体の結合体ではないとしたことが第四点なのだという。それぞれの詳しい議論とか、参照されているテキストとか、なかなか興味深いのだけれど、いずれにしてもこうしたアウグスティヌスの革新性というのが、どうやら同書を貫く縦糸をなしていくような気配だ。というわけで、これも読み進めながら面白い点があればメモっていこうっと。

新刊情報(ウィッシュリスト)

当初の予定より遅れて、2巻セットの『ケンブリッジ中世哲学史』(The Cambridge History of Medieval Philosophy 2V Box Set”, Cambridge University Press)がようやく刊行された模様。ハードカバーで、両方合わせて1200ページを超える大作っすね。少々お値段が張るけれど、うーん、今後廉価なペーパーバック版とか出るのかしら。とりあえず様子見……か?そういえば、『ケンブリッジ古代末期哲学史』も2巻本で今年秋の予定になっているっすね。

今回は国内的にはルネサンスものが目立つような……。というわけで、今回はそちら方面もちょっと入れてみた。

宗教音楽ボックス

先日これまた衝動買いしてしまったのが、ハルモニア・ムンディから出ていたボックスセット『宗教音楽』(“Sacred Music”, Harmonia Mundi France, HMX 2908340.33。グレゴリオ聖歌以前から始まって、中世、ルネサンスのポリフォニー、その後のモテット、ミサ曲、オラトリオ、レクイエムなどなど近現代にいたるまでの通史を聴くという趣きの29枚(プラス例によって歌詞の入ったCD-ROM1枚)。聖歌関連とかバッハなどを中心にやはりダブりもあるけれど(苦笑)、それ以外は未聴のものがいろいろあって、値段の割には結構得した感じ。まだ少ししか聴いていないけれど、その中ではボッケリーニのスターバト・マーテルとか(演奏は来日予定のキアラ・バンキーニ&アンサンブル415)、アレッサンドロ・スカルラッティのオラトリオ『カイン(または最初の殺人)』(ルネ・ヤーコプス指揮のベルリン古楽アカデミー)、メンデルスゾーンのオラトリオ『パウロ』(ヘレヴェッヘ指揮、シャンゼリゼ交響楽団、ラ・シャペル・ロワイヤル、コレギウム・ヴォカーレ)などが強烈な印象。特に『パウロ』は勇壮感あふれる壮大な曲想。演奏も言うことなし、みたいな。