プセロス「カルデア古代教義概説」 – 3

6. Μετὰ δὲ τούτους τοὺς πηγαίους πατέρας δοξάζουσιν ἤγουν τοὺς κοσμαγούς· ὧν πρῶτος μὲν ὁ ἅπαξ λεγόμενος, μεθ᾿ ὃν ἡ Ἑκάτη δευτέρα καὶ μέση, τρίτος δὲ ὁ δὶς ἐπέκεινα· μεθ᾿ οὓς οἱ τρεῖς ἀμείλικτοι καὶ ἕβδομος ὁ ὑπεζωκώς.

7. Ἔστι δὲ ὁ ἅπαξ ἐπέκεινα νοῦς πατρικὸς ὡς πρὸς τὰ νοητά, πατὴρ δὲ τῶν νοερῶν ἁπάντων· ἡ δὲ Ἑκάτη νοεροῦ φωτὸς καὶ ζωῆς πάντα πληροῖ. Καλοῦνται δὲ οὗτοι πατέρες καὶ κοσμαγοὶ ὡς προσεχῶς ἐπιβαίνοντες τοῖς κόσμοις.

6. これらに続き、彼らは「父なる泉」もしくは「世界の支配者」を信奉する。その一番目は「端的な一者」と呼ばれ、それに続くのが二番目にして中間の「ヘカテー」、三番目が「超越的二者」である。これらの後に三つの「冷徹なるもの」が来て、七番目に「帯をおびた者」が来る。

7. 「端的な一者」は、知解対象に対して父なる知性としてあり、知的な者すべての父である。「ヘカテー」は知的な光と生命ですべてを満たす。これらは父、さらには世界の支配者と呼ばれる。世界のすぐそばに置かれるからである。

ポルピュリオスの反キリスト教論

これも昨年末ごろから少しづつ目を通していたものだけれど、Bompianiの対訳本シリーズで昨年出たポルピュリオスの『反キリスト教論』(Porfirio, “Contro i cristiani”, trad. Giuseppe Muscolino, Bompiani, 2009)。どういう異論をぶつけるのかと思っていたら、直情的とも言える身も蓋もない反論の数々だった(苦笑)。ま、むしろそれだけに、ある意味面白くもあるのだけれど。ポルピュリオスのこの反キリスト教論は文書として残っているものではなく、例によって証言の数々を収集したもの。ドイツのプロテスタントの神学者だったアドルフ・フォン・ハルナックが10年ほどを要してまとめあげ、1916年に刊行した断片集がそれ。今回の対訳本は、ギリシア語部分のみならず、そのドイツ語序文ほかも含めて伊語に全訳したというもの。

それにしても鮮烈なのは内容だ。章立てだけ見ても批判対象の拡がりがわかる。使徒たちの性格や信頼性、旧約聖書の記述、イエスの言動、教義内容など、とにかく手当たり次第に歯に衣着せぬ物言いで文句を言う。たとえば最後のほうにある「復活の教義」をめぐる一節では、「火で燃やされたり虫に食われたりして朽ちた遺体が蘇るとはどういうことなのだ」と言い、「神には奇跡ができると言うけれど、ホメロスを詩人でなくはできないし、イリオス勢が負けないようにもできない。2x2を5にはできない。神とて全能ではない。善なる神は悪だってできない」みたいにあけすけに食ってかかる。ま、全体としては素朴な反論という感じではあるけれども、それにしてもプロテスタントの宗教家がなぜこうした書をまとめ上げたかという点もなかなかに興味をそそるものがあるかも。

辞書ツールも一新

マシンが新しくなったので、いろいろな言語まわりのツール類も一新しているところ。OSはデフォルトで入っていたのがLeopardなので(Snow LeopardはDVDが同梱されている)それほど大きな変化はなく、とりあえずギリシア語入力に使っているMac UIM(入っているバージョンは0.5.2)もそのまま引き継がれたし(でも新しいバージョンはすでに0.6.5とかになっているので、そのうち更新するかも)、Diogenesなども問題なく動いている。ただ、せっかくなので、MacのEPWING辞書検索ツールとして名高かったJammingに代わり、その後継となったLogophileを試してみているところ。画面はWindows界隈のEBWinやEBPocketに似た感じ。Jammingではもっさりしていたランダムハウスの辞書ファイルがさくさく動くようになっていたので個人的には好印象。

で、そのタイミングでお知らせを頂いたのだけれど(ありがとうございます)、あのEPWING for the classicsの羅英・希英EPWING辞書が更新されている。これは嬉しい。さっそくLogophileにも載せてみているところ。iPod TouchのEBPoketにも入れ直さなくては。

マシン新調

足かけ5年ほどメインマシンにしてきたiMac G5もそろそろくたびれてきたので、型落ちのiMac 24インチ(2009年春モデル)を某ショップの新年特価(ほぼ半額)で購入してみた。17インチに比べると24インチはやはり広い(当たり前だが)。馴れてしまったら戻れないだろうなあ、と。Macだけあって移行も楽。FireWireで繋いで前のマシンの設定のかなりの部分を移すことができ、快適そのもの。こうなるとやはりFusion 3とWindows 7を用意してMac内Winをやりたくなってくる。

それにしてもこう画面が広いと、どこを狙ってよいやら(cf. クアトロ・パジーナ@ Zガンダム)、ではなく(笑)、マウスをぶんまわすことになっていくぶん操作性を損ねる気も(苦笑)。やはり右手をあまり動かさずにカーソルの移動ができてほしい……。あ、2009年の秋モデルから登場したマジックマウスならそのあたりのことを考えているのかしら?

雑感:質料の限定

昨年末からちびちびと読んでいるピロポノス『世界の永遠について』(『反プロクロス』)。基本的にはプロクロスのもとの議論に対してピロポノスが反論を加える形なのだけれど、プロクロスの議論は18あるとされている。で、Brepols刊の2巻本の第二巻は5つの議論(5章分)しか収録されていない。これ、残りは続刊ということになるのかしら。収録分は、原因(デミウルゴス)と結果(世界)とは等質ではない(永遠であるならば等質でなければならないというのが前提?)と強調する第1章、プラトン的なイデアの永続性を論拠にすることへの反論をなす第2章、現勢態・可能態の違いを説明する第3章、現勢化と運動について詳述する第4章(今ここの途中)と続いているのだけれど、個人的に関心のある質料形相論的な話は当面出てきそうにない(笑)。で、そんな中、ピロポノス関連の書籍にそのあたりの話を取り上げたものがあると聞き、Google Booksで覗いてみる。デ・ハース『ピロポノスによる第一質料の新定義』(Frans A. J. de Haas, “John Philoponus’ New Definition of Prime Matter: Aspects of Its Background in Neoplatonism and the Ancient Commentary Tradition”, Brill, 1997)というもの。

さしあたっては購入しないけれど(苦笑)、Googleの内容見本表示をざっと読んでみると、なにやらピロポノスは第一質料に三次元的限定を導き入れている、みたいな話のよう。ほとんどこれ、『反プロクロス』の11章の内容の詳述という感じなので、ちょっと原文のほうを見ないと何とも言えないけれど、もしそういう話だととすると、これってトマスが個体化論で述べていた(ちょっと前のメルマガで出てきた)、次元として指定された(限定された)質料という考え方の「源流」のような印象も受ける。もちろんトマスがピロポノスを読んでいたなんていう文献学的な話ではなくて(それはちょっとありそうにない)、トマスのテキストが醸すある種のわかりにくさを、ピロポノスあたりを併読することによって和らげられないかとか、あるいはまた、キリスト教の側からのアリストテレス解釈のある種の「型」が浮き彫りにならないかとか、そんなことを思っているわけだけれど。