漢籍的教養……

当たり前だけれど、もうすっかり年末モード。この数年は年末に(年末以外にも時折やるけれど)2時間くらいかけて焼き豚風の煮豚を作っているけれど、今年もうまい具合にできた(笑)。ま、それはともかく。

年末読書ということで、最近出たばかりの『西田幾多郎歌集』(上田薫編、岩波文庫)を読む。西田幾多郎の創った短歌、俳句、漢詩、訳詩、さらに短いエッセイ、そして親族らの手記からなるなかなか興味深い一冊。特に長男の死を契機に増えたとされる短歌の数々は、いわゆる喪の仕事として切々たるものがある。少し前に道元の短歌についての入門本を読んだけれど、そこでの歌というものは、リファレンスの照応関係が織りなす万華鏡のようなものという感触だった。西田幾多郎の短歌はもっと近代的なものではあるだろうけれど、やはり詩作全体を支えているのは豊かな漢籍的教養。今ではすっかり失われている(と思われる)ような質の教養だ。それは同時に哲学的探求をも下支えしているのかもしれない、なんてことを考えると、あの難解な文章の数々もまた違って見えてきそうな気がする。一方、親族の手記から伝わってくるいかにも明治時代的な父親像というのも鮮烈だ。学問への取り組みは老いてなお常に若々しく、定年後にラテン語やギリシア語に本格的に打ち込んだ、なんてエピソードも見られる。

新刊情報(ウィッシュリスト)

久々にウィッシュリスト(笑)。この秋から冬にかけては例年に比べめぼしいものが少なかった。うーん、冬から春にかけては期待したいところだが……。

ピロポノス「世界の永続について」

夏くらいからちびちびと読んでいた3巻本のピロポノス『世界の始まりについて』は少し前に読了。創世記の註解として、新プラトン主義などいろいろな要素が織り込まれていてとても興味深いものだった。で、引き続き今度は今年Brepolsから出た、同じくピロポノスの『世界の永続について』(“De Aeternitate Mundi – über die Ewigkeit der Welt”, I & II, Clemens Scholten (übersetzen), Brepols, 2009を読み始める。こちらは2巻本で、上のとは違い、1巻が解説(というか論考ですね)、2巻が希独対訳になっている。というわけで両巻並行で読み進めることになる(笑)。『世界の始まりについて』のほうは哲学からの神学「転向」(というか断絶?)後の作品とされるのに対し、『世界の永続について』はその「転向」直前の作品らしい。このタイトル、実は略さずには「プロクロスによる世界の永続についての議論に対するアレクサンドロスのヨアンネス・ピロポノスの書」となっていて(クレメンス・ショルトンの解説によれば、これも後世に付けられたものらしいのだけれど)、「反プロクロス論」みたいに呼ばれることもあるという。実際、世界の永続についての反論はもう一つ、反アリストテレス論もあるらしい。いずれにしても、プロクロスによる世界の永続の擁護論(アッティコスなど、その先達たちのプラトン主義からすると逸脱とされるが……)は反キリスト教の議論として一種の標準となるものだったようだ。で、キリスト教を奉じるピロポノスがそれに反論を加えたというのが同書。まだほんの出だしだけれど、すでに「コスモスが仮に無限だったとして、コスモス内に有限の存在が複数生じるのは論理的におかしい」みたいな議論が執拗に繰り出されたりしている。うーむ、これはなかなか面白そう。ピロポノスの議論に対するシンプリキオスの反論もあるといい、このあたりの論争もまた興味深い。

「カルデア教義の概要」- 7

/ Ἀποκαθιστῶσι δὲ τὰς ψυχὰς μετὰ τὸν λεγόμενον θάνατον κατὰ τὰ μέτρα τῶν οἰκείων καθάρσεων ἐν ὅλαις ταῖς τοῦ κόσμου μερίσι· τινὰς δὲ καὶ ὑπὲρ τὸν κόσμον ἀναβιβάζουσι καὶ μέσας αὐτὰς διορίζονται τῶν τε ἀμερίστων καὶ μεριστῶν φύσεων.

Τούτων δὲ τῶν δογμάτων τὰ πλείω καὶ Ἀριστοτέλης καὶ Πλάτων ἐδέξαντο, οἱ δὲ περὶ Πλωτῖνον καὶ Ἰάμβλιχον Πορφύριόν τε καὶ Πρόκλον πᾶσι κατηκολούθησαν, καὶ ὡς θείας φωνὰς ἀσυλλογίστως ταῦτα ἐδέξαντο.

/彼らは、死と称されるものののち、魂は内的な浄化の度合いに従って世界のすべての部分に復帰するのだとする。(魂の)あるものは世界の上へと登り、分割できない本性と分割可能な本性との境を切り分ける。

これらの教義の多くは、アリストテレスやプラトンが受け入れている。プロティノス、イアンブリコス、ポルピュリオス、プロクロスにあっては、すべてに従い、論証の対象ではない神の声として受け入れている。(了)

「占星術師」たちの合理主義

また少し間が開いたけれど、ヴェスコヴィニ『魔術的中世』もいよいよ終盤。後半はひたすら占星術関連の話が展開している。プトレマイオスから始まり、イスラム最大の占星術師ことアルブマサル(アブー・マアシャル)、さらに12世紀にその著書がラテン語に翻訳されて西欧に伝わり、後のアーバノのピエトロなどが登場する、といった全体的な流れだけれど、これらの主要人物たちがいずれもある種の合理主義的でもって、占星術というものを構築もしくは解釈していることが強調されている。これが同書の後半を貫く基本姿勢になっている。そもそものプトレマイオスからして、占星術は天文学の中に位置づけられる経験則的な自然の学であるというスタンスを保っていたし、アブマサルはイスラム信仰、新プラトン主義、ストア派、アリストテレスの教義など諸要素を借りて、それをコスモロジー的に統合し、普遍・一般的な学としての占星術を練り上げた、とされる。それが魔術的な要素と混同されるのは後世の人々の誤解によるもの、というわけだ(西欧では、セビリアのイシドルスやサン=ヴィクトルのフーゴーなどからすでにして、占星術の実践的側面が貶められていたとのこと)。

アーバノのピエトロもまた、そういう文脈にあって、占星術を魔術から切り離そうとした人物として描かれている。ピエトロにとっての占星術は理論と実践を繋ぐ学としてあり、同じく手作業の学として蔑まれていた医学も同様の学として弁護されているという。魔術的要素が結びついてしまうのは想像力のせいであり、本来はそのようなものではない、というわけだ。ピエトロが「魔術師」みたいに言われるのは後世(16、17世紀)ごろの誤解にもとづくイメージのせいで、実像は違うというのがヴィスコヴィニの立場。ま、今ところその点について判断材料を持ち合わせていないのだけれど、そういえば以前読んだオリヴィエリ『アーバノのピエトロとネオラテン思想』なんてのも、アリストテレス解釈者としてのピエトロに焦点を当てたものだったっけ。

とりわけ16、17世紀に盛んになるという医学占星術については、以前から少しばかり興味を抱いていた。おおもとはプトレマイオスの『テトラビブロス』だけれど、その後の古代末期とか中世での展開というのがよく見えてこないなあ、と、これもピエトロが一つの結節点をなしているのは間違いないようで、少しちゃんと読んでみたいと思っているところ。サレルモの伝統の次はパドヴァの伝統が重要になる、ということかしらね。実は少し前に、ピエトロの医学書『哲学者と医者の間に生じた論争の調停の書』(“Conciliator differentiarum quae inter philosophos et medicos versantur”)(略して”Conciliator”)の1565年版のリプリント版を入手したので、来年はこれを少しづつ読んでいきたいと思っている。