「ロザリオのソナタ」

バロック・ヴァイオリンのパブロ・ベズノシウク以下4人によるビーバーの「ロザリオのソナタ」ダイジェスト版の公演を聞きに行く。16曲から成る「ロザリオのソナタ」のうち、10曲のプログラム。ところがこれがなかなか壮絶なことに……。前半の最後「磔刑」の途中で、なんだかヴァイオリンの音がおかしくなった。げ、楽器がイカレた?と思ったら、イカレたのは演奏者の手(手首?)のほうだった……(楽器の方を先に心配してしまうのは、リュート弾きならではのリアクションだ……反省)。つったらしい(これってプロならでは?弾きすぎ?)。で、演奏ストップで前半終了。後半はその頓挫した部分から再開。で、後半プログラムも3曲を終えたところで予定になかった休憩。ベズノシウクは曲の合間に数回、手を振り払うしぐさをしていた。なんとも痛々しい感じで、もう最後の「守護天使」(パッサカリア)のヴァイオリン・ソロ(これは実に美しい曲だけれど素人目にもかなり難しそう)などは、頼むから弾ききってくれよ〜という感じで、会場の多くの人が祈るような気持ちで応援していたのでは?うーん、なんともめずらしい状況だ。

でも、1曲目の「受胎告知」などは、テオルボ(キタローネ)とヴァイオリンによる実に感動的な演奏だった。これは名演か、と思われた矢先の上のトラブルのせいで、聴いているこちらも微妙に落ち着かなく集中しきれなかった。ちょっと残念。これまた渋くキタローネを弾いていたのはポーラ・シャトーヌフという女性奏者。小柄なためにキタローネがやたらでかく見える(笑)。今回は6台ものヴァイオリン(調弦がそれぞれ違う)を用意しての公演。13日と14日の午後に、それぞれ東京と兵庫で全曲版+朗読の公演が予定されているけれど、そちらはチケットは完売だったような……。(画像は彼らが出しているその全曲CD)。

ノルウェーの中世美術

近所の本屋でいつになく目についたのが『芸術新潮』の12月号。あまりに気にかけていない雑誌だけれど、いつもの月よりも置いている冊数が多いような気がする……。で、その特集が「ノルウェーの森へ–中世の美とオーロラの旅」。なんだか新幹線の車内誌『トランヴェール』の外国版という体裁だが……(笑)。でも、特集の中心をなす、美術史家の金沢百枝氏による木造教会探訪記は読み応え十分。写真も見事で、木造の教会の佇まいはとてもいい。細部の浮き彫りや板絵なども素晴らしい。ロマネスク建築の石造りの技法はノルウェーにも伝わっていたというけれど、素材の調達や資金の問題を超えて、地元の人々には木造への嗜好、こだわりがあったのではないか、という仮説が面白い。ノルウェーの中世美術史の大家だというホーラー氏を訪ねる件があるけれど、この方、異教の残滓を思わせる教会内の木彫りの彫刻などについて、「それは装飾だから意味はない」とにべもなく言い放つのが逆に印象的(笑)。実証を重んじる研究スタイルだというけれど、なるほど下手な解釈は恣意にすぎないのだからよしときなさいというのは、ある意味ごもっとも。

パーセルのイギリス性?

最近録画とかが溜まってしまい、9月にBS2で放映された6月のアンドリュー・マンゼとリチャード・エガーのリサイタルをようやく最近になって観た。とくに後半のビーバー(「ロザリオのソナタ」から「受胎告知」と、「独奏バイオリンのためのソナタ集」から3番ヘ長調)がいい感じ。息もぴったりのコンビだけれど、チェンバロはここではあくまで補佐役。で、そんなわけで、エガーの最近のチェンバロ独奏ものをCDで聴きたいと思い、選んだのがこれ。『パーセル:鍵盤組曲とグラウンド』(HMU 907428)。パーセルの鍵盤組曲8曲を華麗に軽やかに弾いていて、なにやらどこかしら清涼感が漂ってくる感じ。

ライナーを見ると、エガーのテキストでチョコレートに言及したりしている。17世紀半ばのイングランドでは、フランス経由でチョコレートがはいってきて、1657年に初めてロンドンに専門店が設立されるのだという。1パウンド10から15シリングで、当初はエリート階級の「飲み物」だったという。ロールやケーキに使われるようになるのはもう少し先とのこと。またチョコレートにはダークな面もあり、毒殺などの場合に毒の味を消すものとしても用いられたのだとか。なるほどチョコレートか。そう言われると、パーセルの音楽は上質のチョコレート風味みたいなものもあるかもなあ、と。エガーはこの話、パーセルの謎の死にからめて引き合いに出しているのだけれど、それとは別に、パーセルの音楽についてもコメントしている。フランスのリュート音楽の「style brisé」(アルペジオを多用し曲の輪郭をぼかすスタイル)の影響を受けつつも、きわめてイングランド的なのだという。うん?イングランド的?エガーはそれを、ひねりや風変わりさ、エキセントリックさみたいに言う。個人的には、イングランドものって様式的にかっちりしていて、大陸もののような変な音が突然出てくるみたいな部分はあまりないと思っていたのだけれどなあ……。

ジャケット絵はコーネリウス・ジョンソン&ジェラード・ホークギースト作の「大英帝国のヘンリエッタ・マリア妃」の一部らしいのだけれど、残念ながらこの絵はネットではさしあたり見つからず(?)。また、まったくの余談だけれど、チェンバロつながりで言うと、やはり9月のBS2で放映していた中野振一郎のチェンバロ(ブランシェ作のオリジナル楽器だそうだ)演奏もとても端正で充実していた。2007年の浜松での公演で、クープランやラモーなどフランスもののプログラム。

アルベルトゥス論とか

金森修編『エピステモロジーの現在』(慶應義塾大学出版会、2008)をぱらぱらと。エピステモロジーというと主にフランス系の科学哲学・認識論のことだけれど、これは国内のその分野(といってもかなり広いけれど)の若手研究者を中心とした論文集。デカルト、クールノー(19世紀の確率論者)、カヴァイエス(20世紀の数学史家)、ベルクソン、フランソワ・ダゴニェ(これは金森氏ならでは)などが取り上げられるかと思うと(第一部)、第二部ではフランスの心理学成立史、現代的な生命認識論、中世のアリストテレス主義の自然哲学、19世紀の地質学の誕生などの論考が続く。うーん、壮観だ。

とりあえず個人的に食指をそそられるのは、なんといっても第二部の中世もの。高橋厚「自然の作品は知性の作品である」は、アルベルトゥス・マグヌスの「形成力」思想をまとめたなかなか贅沢な内容の論考。個人的にもアルベルトゥスには惹かれるものがあるだけに、こういう堅実な研究の登場は嬉しいところ。内容は、アルベルトゥスの『鉱物論』や『動物論』から無機物・有機物をつらぬく一貫した同じ生成原理が読み取れ、それがアリストテレスのプラトン主義的解釈から導出されるものだということを、テキストに即して論証しようというもの。個人的にはやはりナルディ的解釈とか思い出してしまう。そちらでは確か、天の第一動者(というか神ですね)は鉱物の生成に対して二度介入する形を取り、一度目で形相の胚芽を質料に注ぎ込み、可能態として内部に宿る形相の胚芽が本来の形相に対して決定的に欠損が刻印されるため、それを現実態にするには天の力(というか動者としての知性の力?これまた神?)の第二の介入が必要になる、という図式だった(生物の魂においても同じ図式が適用されていたようだったけれど、細部は微妙に異なっていたような気もする。アルベルトゥスはある時期、能動知性が魂に個別的に内在するみたいな話をしていて、能動知性と天の力とで少し話がぶれていたような印象も……)。で、その図式でみると、上の論文の「形成力」も、二つのどちらの介入に位置するものなのかが微妙にぶれるような気も……。でもこれは、解釈の格子をどう取るかの問題かしらね。いや〜、それにしても刺激も受けたことだし、個人的にも未読テキストが山のようにあるアルベルトゥス、また改めて読んでいきたいと思う。

iPod Touchで古典を読みたい(その2)

うーむ、ちょっと風邪ぎみ……。午後から夕方はダウン。

で、今ごろのそのそとiTunes Storeを見ていたら、なんと、Greek-English Lexicon
iconというのが出ているではないか!有料アプリだけれど、これは即買い(230円)。1924年のLiddle & Scott(パブリックドメインなんですね)をもとにした古典ギリシア語 – 英語の辞書。iPod Touchで使うと、検索語の入力用にソフトキーボードがギリシア文字で出る。なかなかいいねえ、これ。表示とかは普通……というかちょっと見づらい感じも。でもこれで、出先でギリシア語本読むときには重宝しそうだ。うん、なんか元気出てきた(笑)。

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