CEATEC 2009

今週はいろいろ立て込んでいて忙しい。仕事で幕張メッセのCEATEC 2009をちょっとだけ覗く。2000年から始まったというこれ、昔のエレクトロニクスショーっすね。そちらもずいぶん昔にやはり仕事がらみで行ったことがあったような……。台風のせいで予定を繰り上げた人とかもいたのかしら、会場はなかなかの盛況ぶり。ビジネススーツの人がたくさん。行きも帰りも海浜幕張の駅は混んでいる感じ。個人的には、会場がだだっ広くて疲れる。腰痛を抱えた身としては結構厳しい……。なにやら今年は最終日の10日が無料だそうで、子ども連れ向けのイベントなどもあるそうだ。面白そうなブースは……うーん、大手のところはたいてい時間区切って何かやっているみたいで、タイミングが合わないとつまらない感じも。全体はというと、展示の見た目とかは前身のエレクトロニクスショーとそんなには違わない気もするのだけれど(?)、90年代くらいには、「業界ずっぽり」ではない人にもなにやら将来的な期待感を煽るような、そういう空気があった気がする。今回のは、景気もいまいちのせいか、何かそういう空気が今ひとつ感じられないような……(?)。でもま、業界関係者には面白い祭典なんでしょうねえ、きっと。多少は目を惹くものないわけではないし。そういえば、ある一画でやたら目立っていたのがUQ WiMAXのブース。お姉さんたちが青いデカい紙袋を配っていた(もらわなかったけれど)。いよいよdemarrerという感じっすかね、WiMAX。

ニュートン……

積ん読になって久しかったフランク・E・マニュエル『ニュートンの宗教』(竹本健訳、法政大学出版局)を読み始める。ざっと本文の半分ほど。本文の後には補遺としてニュートンの論考の断片、手稿が続く。これらを通じて、ニュートンが宗教をどう自分のものにしていたか、宗教とどう(深く)関わっていたかを、通俗的な伝説排する形で(ニュートンが若いころから真摯に宗教に向き合っていた姿を描こうとしている)を追っていくというもの。原著は73年といい、実際この手の議論は伝聞的に広まっていると思うので、ある意味これは新古典という感じの一冊でしょうね、きっと。特に2章めの、自然と聖書という二冊の書物のメタファー(つまり科学と神学)についての話が面白い。ニュートンは、それらを分離せよという分離派の立場を取りながら、つまりそれらを総合しようとする汎知学の立場を批判しつつ、それらとはまた違う形で二つのメタファーの調和を見出す立ち位置にあった、という話(とても大雑把な要約だが)。このあたり、詳しい人にとってはもはや常識的なことなのかもしれないけれど、そういうちょっとずれているように見えて、その実、正攻法をなしているような立ち位置、というのが刺激的な感じ(笑)。もっと古い時代にも同じような例を見出せそうな感じもしなくない……なんて(?)。

「三つの曲集」

ビウエラ曲の作曲家アロンソ・ムダーラが1546年に出した「三つの曲集」(Los Tres Libros de Musica……)は、とても多彩な曲を収録していることでよく知られた一冊という。歌曲のほか、ビウエラその他の器楽曲も多数収録されているとか。ライナーによれば、スペインでの楽譜印刷が始まってまだ40年程度しか経っていない頃のことで、それは威信に満ちた企てだったともいう。で、この「三つの曲集」をベースに、同時代の作曲家たち(ミラン、ナルバエス、ダサ、オルティス、カベソン)を散りばめたアルバムが、ラケル・アンドゥエーサ&プライベート・ムシケによる『三つの曲集(三部の譜本)』(A.Mudarra: Tres Libros de Musica Seville 1546 / Private Musicke, Pierre Pitzl, Raquel Andueza)。ビウエラとギター担当はピエール・ピッツルという奏者。なんというか、装飾入れたり結構自由なアレンジ(?)で奏でている。でも全体に、大陸的な哀調漂うしっくりした一枚になっているところがニクい(笑)。ビウエラ演奏のお手本にはならないけれど(苦笑)、日が短くなった今の季節、割とお薦めな感じではあるかな(?)

ジャケット絵に使われているのはエル・グレコの「毛皮の婦人」(1600)っすね。向きが逆か……結構CDで使われている気もしなくない。

中世の「啓蒙思想」

むー、相変わらずの腰痛。こういうときはなかなか集中できないのだけれど、とりあえず、ジェラルディン・ルー編『中世の啓蒙思想』(“Lumières médiévales”, dir. Géraldine Roux, Van Dieren Éditeur, 2009)というのを読み始める。思いがけずマイモニデスやイスラム系の話が主で、ちょっと嬉しい。3部構成の第1部をつらつらと眺めているだけだけれど、ユダヤ教の一部反律法・メシア待望論の人々が焚書に加担していた話とかが面白い(ダヴィッド・ブレジス)。当然、マイモニデスはそれを言語同断とはねつける。そういう蒙昧さに理性でもって立ち向かったというマイモニデス像は健在。編者のルーはマイモニデスが『迷える者への手引き』で理想として説いた「実践なき観想」についての考察。さらにいくつかマイモニデス関係の論考が続き、その後にはニュッサのグレゴリオス論(アラン・デュレル)。けれどもこれはなんだかさわりだけという感じで食い足りないっす(苦笑)。まだ見ていないけれど、第2部にはアル・ファラービー論やらエックハルト論などもある。ちょっと楽しみ。

iPod Touchでアラビア語

持病の腰痛が何年かぶりに復活したせいで、今週はちょっと引きこもり状態(苦笑)。そんな中、iTunes Storeを眺めていたら、なんとアラビア語・英語辞書(Aratools Arabic-English Dictionary こちら→Aratools Arabic-English Dictionary)が出ているでないの。お値段はちょっと高めだが(苦笑)、変化形から即引けるのがなかなか渋い。ちなみに、辞書引くには、iPhone OS 3.0以上で、設定からアラビア語キーボードをオンにしておく必要がある。まだちょっとしか触っていないものの、万年初級レベルの身としてはありがたい。アラビア語文献は最近ちょっとお休み中だったのだが(読みたいものはいろいろあるけれど)、そのうち少しリハビリしようかなあ、と。